わたしは脱いだズボンのポケットに手を掛ける。

「渡したいものがあるんだ。手をまえに出して眼を瞑ってくれ」

彼女は不思議そうに首をかしげながらも指示に従った。わたしはポケットからちいさな箱を取り出して、そっと彼女の掌に乗せた。家のローンを返済するために馬車馬のように働き続ける日々に加え、さらに今日、こんなものまで買ってしまったから、その期間はさらに延長される。まったく、いい人生だ。

「さあ、眼を開けて。本当は結婚するまえに渡すべきなんだろうけど、新婚旅行とか家探しとかで忙しくて、なかなか選ぶ暇がなかったんだ」

多恵はそのちいさな箱に眼を丸くしていたが、やがて笑顔をほころばせた。わたしは照れたふりをして顔を逸らした。幸福の象徴のような笑顔が、どういうわけか見ていられなかった。

「開けてみますね」

多恵は繊細な動きで飾られたリボンを外した。箱のなかに入っていたのは、紅色に燃えるガーネットの指輪だった。

「きみの誕生日である一月の誕生石を誂(あつら)えてみた。わたしたちの結婚指輪だよ」

自分自身にも言い聞かせる。もう観念しよう。これ以上引きずるわけにはいかない。もうすこしで生まれてくる我が子と、こんなわたしを選んでくれた多恵のために。

「年賀状を書こう。やっと授かった子供だ、みんなに自慢してやろう」

「あなた」

そう涙ぐむ多恵に罪悪感を感じながらも、彼女を抱き寄せた。わたしたちはこれから、家族になれるのだろうか。そんなわたしの不安を映すかのように、部屋の灯りがガーネットの指輪を照らしていた。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。