分岐点

それからの数年間、子供たちは大けがをすることもなく、大病をすることもなく、順調に育っていった。一方、夫の仕事量はどんどん増えていき、忙しくなっていった。

手伝いのスタッフも雇用したが、もともと完璧主義で、仕上げた作品は全て自分が目を通さなければ納品できない人だった。それだけ仕事の完成度は高く、スポンサーには信頼されていたが、体が悲鳴を上げ始めていた。

睡眠時間も少なく、ほとんど一日仕事場で過ごすようになり、短期間に極度にやせていった。一カ月で十キロもやせたのだ。外見がガリガリになり、ただ事ではないと感じた。

夫は仕事の忙しさを理由に病院へ行かなかった。普段きつい口調で物は言わないようにしていたのだが、その時ばかりは、

「病院へ行ってきて!」

と強く言った。

一番先に癌を疑った。ただそれ以外に心を病んでいるのではないかとも心配していた。

眠れない。食欲がない。味がわからない。光がまぶしい。気分が急に滅入ることがあり、他に向って攻撃的になることもあるなど、その他いろいろな症状が見て取れたのだ。

夫はしぶしぶ近所の病院へ出掛けて行った。夫が帰宅して、彼の話を聞いてから、医師からも直接話を聞きたいと思い、その病院へ自分も行って、詳しく話を聞いた。

医師は、

「心の病『うつ』でしょう。ストレスが引き起こしたものです」

と、言った。当時はこの病は対処法がないのか、薬も処方されず、

「時間をかけて治すしかないですね」

と言われた。

「気持ちが落ち込み、自殺、家出、離婚、廃業など極端な方向に向かう人がいるので、行動にはいつも注意しておいてください」

とも言われていた。

とりあえず癌でなくてよかったと安堵したが、その後数年の長い時間を、夫はこの病に悩み、苦しんだ。上の子供二人が中学生の頃で、子供達への影響も気になったが、自分の目は、いつも夫に注意を向けていた。

行先を偽って出掛けて行き、帰宅しない日もあった。帰宅しないので、本人が告げた行先に連絡し、訪ねていないことを知り、慌ててあちこち探し回ったことがある。

身に覚えのないことで、ひどく責められたこともあった。

病気がさせたことなのだからと、忘れることで終わりにしたはずの、夫のちょっとした言葉も行動も、未だに胸の奥底には、カサコソと軽い音を立てて残っているものがある。

思い出すと、長い結婚生活の中で、一番心の重たい時期だったが、懸命に仕事をして家族を支えて生きてきた人が、長期にわたりこんな苦しみを味わうようになったことが可哀想でならなかった。

あの時は、どうしていいかわからず、できることは何でもしてあげようと、ただそう思って過ごしていた。

過ぎてしまえば嘘のようだが、五年くらいかかっただろうか、長い期間の苦しみが失せていき、もとの静かな夫に戻っていった。

子供たちは皆、まだ十代だったが、もう大人に近いところまで成長していた。父親の病を母親と共に悩み、気遣って過ごしてくれたためか、本来、思春期、反抗期と言われる年代を意外なほど穏やかに過ごした。

親の身としてはありがたかったが、子供達には、随分窮屈だったことだろう。

彼の病気の時期と重なるように、時代はアナログからデジタルに移行し、グラフィックデザインの世界も手描きよりパソコンが主流になった。

夫のデザインセンスは得難いものだと、多少身びいきで思っていたが、アナログの時代は過ぎていったようだった。彼はパソコンに方向転換することはしないで、手描きで依頼のある仕事を選んでゆったり作業をするようになった。

妻としては、五年のブランクを取り戻して、もう一時代を花開かせてあげたいと思っていたので、少し心残りではあったが。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『乙女椿の咲くころ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。