その後も、私が覚えているのは大変だった思い出だけです。駐車場で車が見つからず探し回ったこと、ショッピングセンターが砂漠の中にあり、着けるかどうか不安だったこと、ディズニーランドで長い列に並び、娘が寝てしまって重かったことなど。このときのことを、よく夫は聞いてくるのですが、私が、「よく覚えていない」と言うと、「お前はどこに行ってもなんにも覚えてないな。行った意味がない」と言いました。

あなたがもっと協力してくれてたら、もっと良い思い出がいっぱいできたんだよ‼ 私に良い思い出はないのは、あなたにも責任がある……いまならそう言ってやりたいです。

〈引っ越し〉1998年

そのころ私たちは、夫の会社のある、地元からは遠く離れたところに住んでいたのですが、私はこの土地が嫌いでした。その理由の一つは、夫が浮気をした現場だということでした。もう相手の女性は退社して、家も引っ越しました。地元に帰ったのです。だけど、私は不愉快なあの出来事以降、夫を心から百%信用できなくなったこの場所で、いつまでも暮らしていくのが辛かった。

夫はもうこのときには、あの浮気事件について話題にすることはまったくありませんでした。ですが私には、何年過ぎようとも、子どもが生まれて成長しようとも、心の中から消えてなくなることはない出来事です。本当に人間不信、絶望、あきらめなどいろんな感情が渦巻いた、本当に辛い出来事でした。

そういうこともあり、私はこの土地を離れたいと夫に訴えました。地元に近い事業所に転属願を出してくれと。そのとき私は、夫の浮気があって、この土地にはもう良い思い出がないからここを離れたいとは言えず、単にここになじめないから引っ越したいと言いました。

普通なら、きっと「ああ、自分があんなことをしでかしたから、ここにいるのが辛いんだな」と察してもおかしくないと思います。だけど、夫はそんなこと察するわけがありません。私の言葉を真に受け、ここが嫌いだから引っ越したいんだとしか思っていませんでした。

「僕はここが好きなんだけどなぁ。なんで引っ越したいの? 意味がわからない」

と。本当にわからないのだろうか? ここであの女と3人で過ごした日々を忘れてしまったのだろうか? この家で、頭が真っ白になり、未来に絶望したあの出来事を本当にもう微塵も覚えていないのだろうか? 

よく言えば、夫は過去にこだわらない、潔いとでも言うのでしょうか。でも、自分がやらかしたことをまったく覚えてもいないし、悪いとも思っていないことが、果たして潔いことなのか。仮に私が「もう全部忘れた。もう過去のことだ。前を向いて頑張ろう」と言ったのなら、それは潔いのかもしれません。相手を許し、前を向こうとしているのだから。

でも、当の原因をつくった本人が忘れることが、果たして潔いのか。そこには「反省」も「後悔」もない。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『カサンドラ症候群からの脱却』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。