うちの子に限って⁉ 突如不登校が始まりまして~我が家での体験談をお話しします~

●我が子が不登校になったときのお話

当時私はフルタイムでがっつり働いており、仕事を辞めようか随分悩みました。夫にも「子どもをフォローするために辞めて欲しい」と言われていました。

でも、もしも仕事を辞めてしまったら、一日中一緒に居ることで、子どもはかえってしんどくなるんじゃないかと。不登校だった子を持つ友人も、「仕事は辞めたらあかんで」と言ってくれて。私は私の人生をしっかり生きて、その姿を子どもたちに見せたかったこともあり、会社には現状を話して短時間勤務にしてもらいました。融通が利く職場で本当に良かったです。

学校に行かないことで子どもが昼夜逆転になることだけはどうしても避けたくて、私は学校の別室に毎日行かせることにしました。なんとか朝定刻に起きてもらい、夜寝る生活を守るために。とにかくこのときは、気軽に誰かに相談することもできず、それこそ孤軍奮闘という感じで、自分が頑張らねば、なんとかしなければ、と必死でした。

●不登校になってからその後のお話(中学時代)

昼夜逆転を避けるため、子どもを学校の別室に通わせることにした私。毎朝、他の生徒が登校したあとの時間になってから、学校まで一緒に歩いて子どもを送り続けました。雨の日も、雪の降る寒い日も。意外と子どもは学校の別室に通うことをすんなり受け入れて、素直に学校までは歩きます。

でも学校の中にはなかなか入れず、そのまま一緒に家まで帰って来たこともたびたび。担任の先生が空き時間のときには電話をして、校門まで迎えに来てもらうこともありました。そのときは、割とすんなり担任の後ろをついて学校に入って行くことができました。

学校の中には入ったものの、別室まで行けないこともありました。まあ、週に二、三日ぐらい学校の別室に行けていたら上等のような感じで。外の目も気になるためか、別室からは二時間目の授業中にとっとと抜け出して家に帰って来ていました。日中の外出はほぼできず。

家では、ゲーム、読書と、毎日の宿題(学校のではなく、相談先で出されたもの)、みそ汁などを作る料理の手伝いなどをして日々過ごしていました。私は、学校の別室に行けても行けなくても、子どもには、「ああ、そっか」とだけ言って、心の中では喜んだりがっかりしながらも、極めて平静を装いました。

なんとなくですが、自分の気持ちを子どもにあまり押し付けてはいけない、と漠然と思っていました。このときは、まだ学校の教室に再び通えるようになることを期待していて、手帳のカレンダーにも、行けた日、行けなかった日を逐一チェックしていました。