おかんはいかにしてサッカーコーチになったのか?

審判が足りないことに気がついた~Kコーチのメール~ 

息子が小学2年生のとき、息子の学年にはコーチが4名いました。

皆、子どもが好きで、指導が上手くて、おかんは安心して息子を委ねていました。といっても、息子はサッカーが好きなのか好きじゃないのかよくわからない、単に友だちとワイワイしているのが楽しいだけ(?)という感じで参加していましたが……。

春にフットサル大会があり、予選リーグで3試合の対戦が組まれていました。そこで応援に行っていたおかんは不思議な光景を見ました。

監督をしていたTコーチは試合が終わったと同時に次の試合の審判に入ったのですが、直前に応援に来ていたパパさんの一人に、

「選手たちを見ていてください」

とお願いして審判入りしていたのです。

そのとき初めて気づいたのですが、その日は4人いるコーチのうち、来ているのはTコーチしかいなかったのです。皆さん、ボランティアコーチで別にお仕事を持っているので、土日に仕事が入ってしまうと大会だろうと何だろうと来られません。

そうなると、コーチは一人で試合の監督をやって、直後に審判をやって、少し置いてまた試合の監督をやって審判をやってと、一人で掛け持ちをします。この予選リーグは最低でもそれを3回は繰り返します。

「ええぇーっ!?」というのがおかんの正直な感想で、コーチが4人いても日が合わなければ一人のコーチに負担がかかってしまう状況が、理不尽に思えました。

でもそれは、たまたま今回そうなっただけで、めったにないことが起こってしまったのだろう、と勝手に都合の良いように解釈しました。私は一保護者だったから、喉元過ぎれば熱さを忘れるというわけで、1週間後には理不尽に思えたことなど忘れてしまいました。

ところが、しばらくして何年か前に朝練でたまたま遭遇したKコーチから、チームの保護者宛にメールが届きました。KコーチはエスフォルソFCの別学年コーチで、当時はチームの事務局長をしていたのです。

Kコーチのメールは、保護者にあてたお願いのメールでした。

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『グリーンカード “おかんコーチ”のサッカーと審判日記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。