ある日、美術の先生が転任してきた。当時珍しかったロン毛の男の先生で、ギターを弾いていた。その姿に嫌悪感がわき、私は、「キモイ歌作んなちゃ」と言って友達と爆笑した。それからその先生は学校に来なくなった。

先生いじめが加速する中、いつも通りの賑やかな授業中に担任が、「もういい!」と教室を出た。私は友達と盛り上がっていたので何があったかはわからないが、きっと誰かと言い合いになったのだろう。もしくは誰も授業を聞いていないのが嫌になったのかもしれない。「優しい先生」では収束不能になった私のクラス、次の日から担任がリーゼントの赤ジャージに交代した。

中学1、2年生の頃は人間関係でもめた。バスケ部を辞めた後、同じように退部したまきとまた一緒に入りなおした陸上部(もちろん走る気はない)では、毎日部員と言い合いの喧嘩をした。時間をもて余した女子が集まれば、必ずと言っていいほどもめごとは起こるものだ。

陸上部といっても名ばかりだったので、走ることはめったにない。武道場に集まって毎日遊んだ。じゃんけんに負けた人から順番にうつぶせになり、次々と積み重なったり、マットにぐるぐる巻きになって遊んだりすることもあった。今考えると死ぬかもしれないような危険な遊びをよくしていた。毎日がサバイバルだった。

陸上部に入ってからは、まきとまりと3人で行動するようになった。まりは一見穏やかそうだが芯が強く、怒るポイントとか笑いの感覚が似ていて、一緒にいて楽しかった。悩みがある時は1番の相談相手だったし、お互い歌が好きで、体育館前に座り、流行りの歌とか合唱曲をよくハモっていた。

この時期はルーズソックス全盛期であり、ソックタッチ(ルーズソックスが落ちないようにふくらはぎに塗るノリのようなもの)をつけ、くだらない話に盛り上がった。プリクラもよく撮ったが、当時は今のような全身写るタイプではなく、顔しか入らないし、しかも画質がとても悪く、当時のまともなプリクラが残っていないのが残念だ。

入部していた陸上部での遊びや争いもそれなりに楽しんでいたが、もめごとがあるたびに集まり、誰が裏切ったとか、無視されたとか、だんだん女子の世界に疲れてきた。

中学3年生になってからはゆうすけたちとつるむようになった。転校初日に台風子と馬鹿にしたあの男子だ。男の世界は単純だ。嫌なことはその場で嫌といい、イライラしたらその場で喧嘩をする。後からネチネチ蒸し返すことはなく、翌日には何事もなかったかのような時間が流れる。そこはとても居心地がよかった。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『腐ったみかんが医者になった日』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。