設立者たちが考えていた作業の種類は、習慣的な活動や仕事―休息―遊びでした(Larson,Wood&Clark,2003)。作業の専門職である作業療法士は、困難にある人々が社会で当たり前の日常生活を過ごせるように援助することにより、豊かで生産的な生活と健康に貢献できると考えていました。

その特徴は、人道的な人間理解と、作業を中心に据えた見方にありました。作業療法士の育成が始まり、人々を支援する作業療法士が増加した一方で、作業療法は周囲からの影響を強く受けるようになりました。

作業療法の危機アメリカで始まった作業療法は戦争による需要を受けて医療分野に参入した結果、科学性を重視した価値観に影響され、患者の捉え方は包括的な姿勢から機能還元論的姿勢に(細部に分けて患者を理解し扱うように)変化し、設立者が主張していた作業の見方は1940年代には見えなくなり、1950年代には疾患別の作業療法の知識・技術が発展しました(Larson,Wood,&Clark,2003)。

一方、日本では、1960年代にリハビリテーション医療を充実させるために作業療法士教育が始まりました。海外、主にアメリカ出身の作業療法士が、当時の疾患別の作業療法アプローチを日本の学生たちに指導しました(鈴木,1986)。1960年代以降アメリカでは、作業療法士の間から、科学性を重視するようになった作業療法に対して、その本質を問い直す声が出てきました。

臨床の作業療法は理論的基盤が不足していること(Reilly,1958)、作業療法は学問的に危機的状況にあること(Kielhofner&Burke,1977)が指摘され、作業療法の全分野に普遍的に通用し、他の専門職や一般の人々に説明可能な理論的概念が求められ(King,1978)、人間の作業を中核概念にした総合的な見方の必要性が明らかになりました(Yerxa,1981)。

日本で行われた議論では、作業療法はアクティビティーを治療的に利用する実践学という位置づけに落ち着きました(佐藤,1986)。

Yerxaは、人間の作業と健康をテーマに、作業を中核概念とした学問、作業科学を立ち上げ、「健康とは、病気がないことではなく、良い状態(well-beingness)を言い、全体を含む、前向きで、ダイナミックな状態を指しており、適応、よい生活の質、自分の活動の満足を映している」と述べました(Yerxa,1998,p.412)。作業科学は世界各地で展開し、International Society of Occupational Scientistsが活動しています(http:www.isoccsci.org)。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『「作業的写真」プロジェクトとは 作業を基盤に、我々の健康と幸福を考える』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。