2007年

ラグビーワールドカップ、フランス大会

残りあと三分、必死の防戦、執拗なサイド攻撃の前にじわりじわりと前進を許し、ゴールまであと二メートル。こちらも手に力がこもる。

最後の力を振り絞って何とかボールを奪取、かろうじてタッチへ。しかしまたまたニュージーランドの攻撃、今度はバックスに展開。連続してラックを取られ、右に左にと波状攻撃。フランスは防戦、防戦また防戦。

残りあと二分、広場には悲鳴のような声。今度もニュージーランドがミス。インゴールにタッチして、フランスのキックオフで再開。残りあと一分。しかしボールはニュージーランドがキャッチ。オープン攻撃を必死にタックル。

時間はロスタイムへ、プレーが途切れない限りノーサイドの笛はならない。ニュージーランドの攻撃が続く。

しかしフランスのタックルにボールはフランス側へ。キャッチしたフランスバックスがタッチに蹴りだし、ノーサイドの笛。その瞬間レンヌ中心街の広場を埋め尽くした観衆はワーという歓声をあげて総立ち。私達も立ち上がりこぶしを突き上げる。

優勝候補ナンバー1のニュージーランドをフランスが破った瞬間である。

こう書きながら、今でもその時の興奮がよみがえってくる。ラグビーの二〇〇七年ワールドカップの準々決勝戦を、私達日本人六人、フランス人一人はレンヌ市内の広場のレストランの壁に設置された大スクリーンで観戦していた。

予想では圧倒的にニュージーランド優勢である。フランスで行われた昨年のテストマッチではフランスが二戦二敗。二試合目をテレビで観たが、フランスが勝てる気がしないほど力の差を感じた。

会社の工場長は身長百八十五センチ体重は百キロ近くある巨体で、かつてラグビーのナンバー8だった。

彼に、「土曜日はレンヌのバーでテレビを観てフランスを応援するからね」と言うと「うん、ありがとう。フランスが勝つチャンスは二割くらいかな」と悲観的だった。

試合開始。一人ひとりの力では明らかに差があった。ラインアウトのマイボールは取られ、スクラムも安定しない。圧倒的にボールを支配され続けフランスは防御一方だ。

PGそしてスクラムサイドの執拗なアタックについにゴールを割られ〇対十。さらに一PGを追加され〇対一三に。私達の間からも、ああこれは予想どおりダメだな、とため息がもれるくらいだった。

前半のロスタイムにかろうじてPGで三点を返すのがやっと。でも、このPGでもすっかりでき上がった観客の間には大歓声があがった。

後半に入っても、フランスは攻撃より守りの時間のほうが圧倒的に長い展開が続いた。それでも数少ないチャンスをものにしてバックスがこの試合初トライ、ゴールも決まって十対十三にしたときには、皆立ち上がって大喜び。

でもこのときでもフランスの勝利を想像した人はそう多くなかったのではないだろうか。せめて一トライでも報いて欲しいというのがおおかたの気持ちだったと思う。

その後もニュージーランドの猛攻に守ってばかりの時間が過ぎて行く。でもフランスは何とか踏ん張って得点を許さずしのいでいた。

その執念のような守りが実って、ようやく攻勢に。そして得たPGを決めて十三対十三の同点に。周囲は大歓声に包まれ、これはひょっとしたらと期待が芽生えてきた。

だがその後ニュージーランドに一トライを許し、再び十三対十八とされたときには、う〜ん善戦もこれまでかと思われた。しかしフランスのディフェンスはニュージーランドの猛攻に何度もゴールラインを割られそうになりながらかろうじて踏ん張っていた。

攻撃のチャンスはなかなかない。だがようやくおとずれたチャンスに左右に大きく展開、どこからともなく湧き出るように現れた選手がボールをつなぐシャンパンラグビーでトライ。ゴールも決まって二十対十八とついに逆転だ。

このとき七十分経過で残り時間は十分。よーしこれは勝てるかもしれないと再度期待が。そうして冒頭のような展開でフランスは劇的な勝利を収めたのだった。

試合観戦していたサルコジ大統領も立ち上がって大喜び。この試合はフランスではなくウエールズのカーディフで開催されたのだが、大統領もそこまで行って観戦していたのだった。

試合が終わり、ラ・マルセイエーズが合唱されるなか家路についたのだが、市内のあちこちで大騒ぎする集団を見かけた。

きっと市内のバーは深夜遅くまでフランスの歴史的勝利に酔いしれる人で占拠されたことだろう。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。