学校は勉強するところ

ハイスクールの女子生徒に「学校は好き?」と聞いたら戸惑った表情を見せた。質問の意図が理解できないようにも思えた。なぜそんなことを聞くのかと言いたげだった。そして、彼女は言った。

「School is School.(学校はあくまでも学校だから)」

と。

「学校は勉強するところ。好きとか嫌いとか考えたことないわ」

と言っているように私には聞こえた。

「学校は好きですか」

「学校は楽しいですか」

という質問を生徒に投げかけたとき、「好きです」「楽しいです」という返事を聞くとなぜかほっとした気持ちになる。逆だとちょっと心配になる。

子どもたちは一日の大半を学校で過ごすのだから、学校が楽しいと思えるのは良いことだ。つまらないと思いながら過ごすよりずっといい。

だが、「学校が好き」「学校が楽しい」というのはそもそもどういうことなのだろう。算数が好き、理科の実験が楽しい、友達とおしゃべりするのが好きなどというのならわかる。

でも、算数は好きだけど理科は嫌い、授業はつまらないが部活は楽しいなどという生徒だっているだろう。総じて学校を好きか嫌いかで答えるのは、本当は難しいのかもしれない。

でも、質問する人の期待に応えようとする日本の「良い子」たちは、たいてい「好き(楽しい)です」と答えてくれる。

オーストラリアの子どもたちに「学校は好きか」と聞くことは、あまり意味がないのではないかと最近の私は思い始めている。日本の子ほど学校の占める割合が大きくないからだ。

学校への期待もそれほど高くない。学校は楽しむための場所ではない。楽しければそれに越したことはないが、楽しくなくてもそれはそれでかまわないと割り切って考える子が多いように思える。

楽しくても、楽しくなくても学校には行かねばならないと思っているからだ。日本には、「学校は楽しい場でなくてはいけない」という認識が、大人にも子どもにも強くあるように感じる。

だから、教師も楽しい学校づくりに専心し、生徒が学校を好きになってくれるよう努力する。子どもたちに楽しい学校生活を送ってほしい、学校を好きになってほしい、そう願うことは間違いではない。

でも、生徒が学校の何から何まで楽しいと感じる必要もないのではないかと思う。何を楽しいと感じるかは生徒によって違う。どの子も100パーセント楽しめる学校づくりなど無理だと思う。

生徒は一人一人違う。学校に対する思いも様々だ。学校が大好きな子もいれば、それほど好きではない子もいる。できれば行きたくないという子がいても不思議ではない。

誰もが学校を楽しいと思い、学校を好きになることを目指し過ぎると、どこかでひずみが出てくるような気がする。不登校の子どもが増えている要因の一つかもしれない。

「学校は学校」と割り切ることも時に必要だと思う。子どもたちにとっては学校がすべてではない。生活の一部にすぎないということを忘れてはならないと思う。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『日本人教師が見たオーストラリアの学校 コアラの国の教育レシピ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。