眞理がふわっと甘い香りをふりまきながら席を立つ。その笑みはさっきまでの妖艶なものではなく、別れを決意した大人のそれだった。

わたしは戸惑わずにいられない。なぜ女性という生き物は、こうも矛盾する笑顔を抱えて生きていけるのだろう。

会計を済ませたわたしたちは、くだらない愛に酔う街を離れ、ほの蒼い闇が立ちこめる市街地を歩いていく。秩序なんてはなから存在しないかのように視界は揺らいでいる。

眞理が、わたしのそばからいなくなる。それは世界の終わりと同義だった。受け入れられるわけがない。いつもは明るくて、だれにでも好かれる彼女だが、内実はすごく寂しがり屋で不安定だった。

彼女は心に傷を負っていた。それは海外幼稚園で過ごした子供時代、日本人というだけでいじめられた過去からきている。

「なにをしても無視されたわ。まるで自分が透明になったみたい。わたしはそこにいるはずなのに実在しないの。ただただ虚しかったわ」

そんな地獄から抜け出した彼女は、人がそばにいるありがたさをなによりも理解し、強くあろうと地面を踏みしめた。彼女が海外で働くことを選んだ理由。

彼女はきっと、勝ちたいのだ。かつての自分自身に。そんな彼女のすべてを心から尊敬し、愛していた。

だが彼女も三十歳目前。このままずるずると決断を遅らせ、彼女の大切な時間を空転させるわけにはいかなかった。

わたしからさよならを告げるべき。だがそれが、どうしてもできなかった。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。