平成30年4月に自分の理念を達成すべく、町長選に出馬することにした。二元代表制である地方行政は、首長と議員の関係にあり、どちらも直接市民から選ばれる。しかし、首長は、1人で絶対的権限と義務を持つのである。

「首長にならなければできないことがある」

議員の時には果たすことのできなかった目的を果たすためには、首長になるしかないと思い戦った。前回の議員選同様に、多くの地域の方や友人、家族が誠心誠意支えてくれた。このことには感謝しかない。しかし、そこには議員選とは全く違う空気感があった。通常であれば人が避けるだろう議題について公然と言い続けた反動であろうか……。

「あいつが町長になると補助金が削減される」「庁舎も今は3つあるのに1つになる」「役場や議員や町民に厳しいことばかりする」それが、私に対する町民の評価であったのだろう……大差で落選した。助力してくれた方に対する感謝とともに、自身の力不足を猛省し、申し訳無い気持ちでいっぱいになった。

この町長選はある人の想いも背負って戦ったため、落選した時は言葉を失った。ある人とは、議員選で毎日戦車を真っ白に磨いてくれていた、幼少期からお世話になっていた先輩のことである。彼は、私が小学校に入学したての頃から毎日手を繋いで登校してくれた5歳年上の先輩で優しい人柄のお兄さん的な存在だった。面倒見が良く、人に奉仕することを苦としなかった。

町長選では彼に選挙対策本部の部長を引き受けてもらい、1月から3か月に及ぶ激戦を一緒に戦ってくれることになった。この選挙を自分のこととして夜遅くまで打合せや計画を練ってくれた。本戦では初日から大きな声で「頑張ろう」をコールし、選対を引き締めてエールを送り続けてくれた。その業務は、激務であっただろう。彼は、最終日の前日に倒れてしまった。

この選対の支えとなっていた彼の不在は誰もが想定しなかったことであり、一番頑張ってくれていた彼のいない悲しみと無理をさせてしまったという苦みを感じながら、各々自分を鼓舞し、選対のみんなで最後まで戦った。しかし、彼は帰らぬ人となってしまった。

彼が望んでいた町の姿は、私と同じであった。「みんなが笑顔で幸せに老若男女問わず暮らせる豊かな町」。豊かさとは、「金銭的・時間的余裕があり、自身が多様な趣味や芸術文化に触れ、固有の心底にある満足感を感じる時間と空間である」と考える。彼もそんな世界観を、この町で実現したかったに違いない。

しかし私は落選してしまい、その世界観を実現することができない。かけがえのない先輩同志を失うと同時に、彼の家族から彼を奪ってしまった。心の底から悔いても言葉が出てこない。