口を開いた緘黙(かんもく)少年

Y君が場面緘黙症(選択性緘黙症)の疑いで受診したのは、小学三年生のときであった。場面緘黙症とは家庭では普通にしゃべれるのに、学校や屋外では不安や緊張や過敏さなどから言葉が出なくなる状態をいう。Y君は家で普通にしゃべっていたので、学校では全くしゃべれないとは思いもしなかった母親は、家庭訪問で担任から「Y君はおうちではお話ししますか」と聞かれびっくりした。そう言えば、友達からも「Y君、おうちで話すの?」と聞かれたことがあった。

家ではおしゃべりなY君が学校では笑うこともなく、休み時間も一人ぼっちで過ごしていることを知り、母親は愕然とした。事情を知らない別の先生が、しゃべれないY君を教壇の前に立たせ、何度も挨拶を強いたこともあったらしい。

のちの授業参観で、休み時間、乱暴な子に胸ぐらをつかまれ壁に押しつけられ「言ってみれ、言ってみれ」と発語を強いられる場面にも遭遇した。受診を重ねるうちにY君には緘黙のほかに、自閉症の特性を有することが明らかになった。

幼少期は一人遊びが多く、水遊びや砂遊びに熱中し、公園など広い場所では同じ所を何回もくるくる回ったり、いきなりどこかへ突っ走って行方不明になったりした。

母親に自閉症と併存する場面緘黙症である可能性を伝え、心理検査で診断を確定した。何度目かの診察の際、頃合いを見て、Y君にメッセージを伝えた。

「君はムリしてしゃべらなくていい。君は何も悪くない……。おそらく耳から入る音の神経とおしゃべりをする声の神経との間のスイッチがつながっていないためなのだと思う。君が悪いわけではない。両方のスイッチがつながってないだけなんだ。焦らなくていい。つながるのを待とう……」

受診を重ねるうち、緊張が和らぎ、こちらの冗談に笑顔をみせ、質問にも頷いて答えるようになった。小学三年の三学期末、Y君に「好きな科目は何?」と聞いた時、Y君は母親の耳元に顔をよせ何やら耳打ちし、母親を介して答えようとした。その一瞬をとらえ、私も座ったまま二人の方に椅子を滑らせ、右手を耳に当て、おどけた格好でY君の声を聞き取ろうとする仕草をやってみせた。そのおどけぶりにY君が吹き出した。

※本記事は、2020年3月刊行の書籍『爆走小児科医の人生雑記帳』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。