少年野球の配車当番では千葉県内津々浦々の球場へドライブした。私の運転は荒くて下手くそ。

バサラは「ハズレくじ」と噂されていたと最近知った。私はそんなこととは、つゆ知らず、息子やその友人が繰り広げるバカ話、娘たちの延々続くガールズトークの仲間に入り長い道中を楽しんだ。

少年野球は私にとって数少ない貴重なアウトドア生活。暑くて寒くて熱い日々は親子共通の大切な思い出だ。

亡くなった義母は車の運転が得意だった。西東京市の自宅から、外環、常磐、16号を使い頻繁にやってきた。

トランクに自分の一か月分の着替えと薬。孫、息子に買っておいた洋服などを大量に詰め込み、昼夜時間を問わずやってきた。彼女も私以上に猪突猛進の人。思い立ったが吉日。いつも突撃訪問で滞在期間が不明なのが彼女のスタイル。

義母は40歳過ぎてから運転免許を取得している。義母曰く「ある時思ったの。車を運転するって、洗濯機を回すのと同じようなものだろうって」。免許を取ってすぐに福岡まで車で行ったという「武勇伝」の持ち主だ。

5年前、年齢と体調を考慮し、運転を卒業してくれるように説得した。

納得した義母の気が変わらぬうちにと、私は往路電車で迎えに行き、復路は助手席に義母を乗せ初めての練馬インター、常磐道。生きた心地がせず「どのレーン走ったらいい? トラック多すぎ、怖いよー」。キャーキャー騒ぎながら運転する私に向かって、義母は涼しい声で「流れに乗れば良いのよ」と、悠然とシートに身を委ねている。「ここで義母と心中するわけにはいかない」。私は泣くのを止めて運転に集中した。

車は走る「ジュークボックス」。家事や家族の世話で疲れた頭と心を癒す空間。

素の自分に一瞬戻れる場所であり、子供が本音をポロっともらす所でもある。

そして私を家から連れ出してくれる、かけがえのない「相棒」だ。

東奔西走とうほんせいそう あちこち忙しくかけまわること

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『ママ、遺書かきました』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。