たまには言いました。

「この子、抱っこしててくれない?」「これ、捨てて来てくれない?」「お茶碗並べてくれない?」「これ持っててくれない?」

言えばしてくれます。でも、こちらから言わなければ、何もしてくれません。しかも、前日に言ったことを、翌日覚えていて

「今日もこれ、やっておこうか?」

の一言はありません。1から10まで言わなければやってくれません。言わなければ、いくら子どもが泣いていようが、ぐずっていようが、パソコンの前にじっと座っています。

さすがに、娘をお風呂に入れてもらうことは頼みました。帰りも早いし、私一人でお風呂に入れることは、特に小さいうちは大変です。

入れ方も1から10まで指示しないとできません。指示しても、翌日には忘れているのか、たまたまできていないのか、私が言ったことはできていないことも多々ありました。

昨日できなかったから、明日はできるように工夫しようとか、やり方を変えてみようとか、そんな思考はまったくなく、ただ作業として娘をお風呂に入れる、そんな感じでした。

彼は、娘と遊ぶときも独特でした。首が据わらないうちに「立てる!」と言って娘を壁に立てかけて遊んだり、座らせてみたり。

見ていてひやひやすることが多く、とても二人にして出かけることなどできませんでした。まるで人形と関わっているような対応。

ようやく首が据わったころ、高い高いをした夫は、上に投げ過ぎて娘を天井にぶつけたこともありました。乳児と遊ぶということが、彼にとって得体の知れない者との交流のような感じでした。

ようやくお座りできた娘を、肩車をしてパソコンでゲームをする、こういう関わり方が日常でした。おもちゃで遊ぶとか、抱っこして顔を見るとか、話しかける、そんなコミュニケーションの仕方を、彼はまったくしませんでした。

でもこれも、普通の男性はこんなものなのかもしれないと私自身が受け止めてしまい、違和感として自分の中に残るということもなかったことは事実です。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『カサンドラ症候群からの脱却』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。