小学四年の時から、不登校状態に陥った。物事をストレートに言う癖が災いして男性担任の板書の誤字を指摘したり、説明の矛盾を突いたりして生意気な子と思われたフシがある。

それを契機にして忘れ物を理由にお楽しみ会への参加ができなくなり、授業中のからだ揺すりも禁じられた。これまで許されていた授業中のトイレ離席も認められなくなり、登校がしんどくなった。

二学期のある日、音楽の時間に隣の楽器部屋に魅せられ、中に入って楽器に触れているうちに授業開始のベルを聞き逃してしまった。そのため楽器部屋に鍵をかけられ、閉じ込められるというお仕置きを受けた。外へ出られずパニック状態に陥ったことがきっかけとなり、それ以降、登校できなくなった。

不登校を契機に教育機関や医療機関を訪ね回り、相談を受けた。

その時初めて発達障害(高機能自閉症に併存するADHD)の診断を受けた。IQは126もあると言われた。

しかし、その後の彼の異才ぶり─五カ国語を独学で習得するなどの能力─を見るとIQはもっと高いように思われた。

幼少期にはげしく動き回っていながら、突如倒れ込むように寝入る、いきなりお腹をすかし、金切り声を上げて泣く、暑いとき、突然服のまま真水を浴びたりするなどの不思議な行動の意味もようやく理解出来た。

学校から何度も登校を促す働きかけがあったが、登校する意思を見せないので試みに英語塾に行かせたら喜んで行くようになった。英語はみるみる上達し、オーストラリア人の先生のなまりまで指摘できるまでになった。

中学に進学すると、決意も新たに登校を試みたが、授業中にからだを揺らすことを禁じられ、静粛さを求められた。登校三週目のテストで、解答を書き終えて席を立とうとしたが許されず、じっとしなければならないことがきっかけで再び登校出来なくなった。

静粛不要、存分に体を動かせる午後の部活(バスケットボール、柔道)には連日参加できた。

好奇心旺盛で話題豊富なことから学友たちの人気者となり、授業には参加できなかったものの学校側の了解を得て中学三年の時には文化祭のリーダー役をつとめた。

不登校の時代、テレビで韓国のバラエティー番組を見て韓国語をマスターした。手話の本を一週間で読んで手話を使い始めたこともあった。ただ、飽きてしまうとすぐ忘れてしまうそうである。不思議なことに興味のあるものを読むときは手足をふるわせる癖はなくなるのだという。

波乱の少年時代を送ったIさんの挑戦は今も続いている……。

※症例提示にご同意し、ご協力いただいた当事者及び保護者に感謝します。

※本記事は、2020年3月刊行の書籍『爆走小児科医の人生雑記帳』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。