「あ、安定って? どういう意味ですか?」

美紀が震える声で訊いた。

「びっくりしたやろね。息子は年に数回こんな発作を起こすんや。普段は大人し過ぎるぐらい大人しいのじゃが」

嫁のあんたには聞いておいて欲しいと前置きして道夫は靖夫のことを語り出した。

「息子は、妄想で自分が狼男か何かに変身すると思い込んどる。発作は十数年ほど前から起こるようになった。内に籠もる性格や大人しいが故に学校で虐めの対象にもなっていたようや。

強くなって虐めた奴らに仕返しをしたいとの思いが高じたんか、自分は変身のできる狼男か何かだと思い込むようになり、時折暴れるようになった。暴れるといっても外ではそんなことは無い。家の中で私や家内に対してだけやった。暴れ回り意味不明の言葉を喚き散らして手がつけられない状態になる。息子の異常な振る舞いに私も家内もこれは精神病だと思った。

そやけど、そんなことは家や息子の恥になることやと思い世間には伏せとった。病院も伊勢や津では周りに発覚するのが心配で名古屋まで連れていった。医者の診断では誇大妄想と被害妄想が絡んだ統合失調症ということやった。ある程度は薬で抑えられるが治らないとも言われた。

大事な跡継ぎがこんなことになり私も家内も悲嘆にくれた。ショックやった。普段は大人しいだけに息子が不憫で仕方がなかった。そやけど一年半ほど前から医者の指示で薬の量を少し多めにして貰ったら発作は遠退き寛解したと私も家内もそう思っていた。

それで歳も歳やしこの機会に嫁でも持たそうと思い、私が見込んだあんたに嫁になって貰うことにした。もうこれで大丈夫やと思って安心しとったとこやった。しかし、ここしばらくの結婚式や何やかやでストレスを感じたのが引き金になったのかもしれん」

道夫はそう言って傍目にもわかるように肩を下げた。

「美紀ちゃん、黙っとったけど騙す積りはあらへんだんや。いつか打ち明けようと思うてた。普段は親の言うことをよく聞いて大人しい子なんや。ただ、靖夫が可愛かった。跡継ぎやし嫁を持たせたかった。あんたのようなしっかりした嫁が来れば何とかなると思ったんや。靖夫の嫁としてどうかこのことを理解してあげて欲しい」

道夫は懇願するような視線を美紀に向けてそう言った。恐怖の上、気が動転している美紀はなんと答えてよいかわからなかった。夫に殺されかけた恐怖と未来への急激な失望が渦を巻き捻じれあって絶望の綱を形成し、それが美紀の胸を容赦なくキリキリと締めつけた。

ふらつく頭で何かを考えようとするが何も浮かばず、今何を考えなければならないかもわからなかった。ただ、たった今起こった恐怖の出来事だけが頭で繰り返し渦を巻いていた。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『浜椿の咲く町』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。