ある日、喘息発作が起きてもいないのに、先生の方から連絡があり、私は病院に呼び出された。そしていきなり怒鳴られた。

「あんたみたいな子が不登校児を作るのよ! 許せない!」

何の前置きもなく、何について話しているのか始めはわからなかったが、先生の思いの強さを感じ、その言葉を鮮明に覚えている。先生はこの頃、いじめで学校に行けない子どもたちと関わっていたのだろうか。それで私のようないじめっこが憎かったのかもしれない。

きっと母から何か相談を受けたのだろうが、いじめっ子を怒るためだけにしては多忙の神代先生が私のために時間を割く理由には足りない気がした。子どもの病気を治療するはずの小児科の先生がどうして私の私生活のことで怒るのか、不思議でたまらなかった。

その後にこんな話もしてくれた。

「私の時代は女が社会に出るなんて許されなかった時代。勉強なんてしなくていいと親から言われていたから、私はロウソクの明かりの中でこっそり勉強していたの。あんたは勉強できる環境にあるんだし、それに賢い。お母さんも応援してくれるはずよ。医者になればいいじゃない」

彼女は普通の大人が理解できない私の感情を読み取ってくれた。

怒られたり、褒められたり、感情が忙しくて少々混乱したが、先生の愛情を感じた。多忙の中、私と向き合ってくれているのを感じた。何だかよくわからないが、先生は私に期待してくれている。

世の中の大人が皆私を敵視するのに、先生だけは違うのかな。

思い悩む子どもたちには、単なる優しさよりも厳しさよりも「向き合う」ということが大事なのだ。先生の気持ちはとても有難かったし、変わらなくてはいけないような気にもなったが、家に帰った瞬間から始まる母の過干渉が、その気持ちをかき消した。

意思が不安定な思春期。頑張ろう! というまっすぐな気持ちは、大人の悪意のない、取るに足らないと思っているようなことがきっかけでへし折られるのだ。後にこの先生は私の上司となり、私は彼女の下で働くことになる。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『腐ったみかんが医者になった日』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。