その事件とは、私が日勤でアパートにいない時に、雄二が台所に片付けてあったくだもの用の短いナイフの刃にノートの紙を何重にも巻きつけて輪ゴムで留めて、自分のおなかの周辺に隠そうとしていたのを、偶然にも帰宅した直美が発見したのだ。

あわてて直美が雄二に言った。

「雄二、何をしているの? 危ないからすぐにやめなさい」

「直美姉さんは、父親とは思えないあの男を家族と認めているの? 僕は認めない! だから、あの男が今まで僕に与えてきた肉体的苦痛を分からせる為に、このナイフであの男を刺して、同じ肉体的苦痛を感じさせてやるのだ。邪魔しないでくれ」

直美はどうすればいいか分からなかったので、咄嗟にこう返答した。

「雄二、あの父親を刺したいならまず姉さんを刺してからにしなさい」

そう言って、身体を大の字の形にしながら雄二の目の前で立ち続けた。

「なぜ、先に直美姉さんを刺さなければいけないの? 僕が刺したいのはあの男だけなのだから関係ないじゃないか」

「雄二、私とあなたは家族でしょう。あなたの苦しみは非常によく分かる。そして、あなたがしようとする行動は、犯罪者になる人がする行動なのよ。

私は、雄二に犯罪者になってほしくない。だから、私をナイフで刺して雄二がどんな感情をいだくのか体験してから、あの父親を刺しなさい!」

そう言ってから、直美は黙って雄二を凝視していた。

すると、雄二の目から涙があふれて最初は立っていたのに、ゆっくりと両ヒザをくずし、次に両手で持っていたナイフを床に落とし、最後に上半身をゆっくりと猫背にしてから動かなくなってしまった。

その様子を確認した直美は、ナイフを受け取って安全な場所に置いてから、雄二の頭部を自分の胸に押し当ててしばらく抱きしめたまま動かなかった。

数十秒が経過してから、うつむいたまま雄二が直美に質問してきた。

「直美姉さんは、あの男を家族と認めているの?」

「私もあの父親を本当の家族とは認めていないわ!

だけど、他人から私達を見ると現在の状況も知らないままで、一般的な普通の家族としてしか認識してもらえないの。それが現実なの。そのことを理解する為に日々、自分自身の心にある葛藤に対して、ものすごく悩んでいた。

そして、私が理解できた時には随分と時間が経過していたわ。だから、雄二も現在は
理解できないかもしれないけれど、1人の人間としてもう少しいろんな意味で視野を広げていければ、今回みたいな行動をしても決して良い結果を獲得できない事が理解できるはずよ。

だって私の自慢の弟なのだから」

それを聞いた雄二は、直美に連れていかれて自分の布団の中で休むように言われた後、眠りについたのだった。これが事件の真相である。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『娘からの相続および愛人と息子の相続の結末』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。