無いない尽くしからのスタート

私たちは生活していく以上お金が必須となる。

そして、家族がいればその金額も相当な額となる。そのため事業は継続しなければならないのである。どのような士業も事業者も3年から5年で姿を消していくのが大半である。その中でどうやって生き残るかどうかが最大の壁である。

独身であったならば、1人分の生活費を何とかすれば事足りるが、私には、守るべき家族があったので、そのようなことを言ってはいられなかった。

また、経営者は独身というだけで一人前の大人という見方をしてくれない人もいる。この日本に、国家資格を手にし、「先生」と呼ばれて有頂天で開業に取り組んだが、理想と現実の差に打ちひしがれた人がどれだけいるだろうか。

苦しい期間を乗り越えることが出来て、初めて「先生」という呼称で呼ばれるのであると今でも思う。

私は、自分と家族のために、生き残らなければならなかった。そして、生き残った者は、継続することの厳しさを知り、その経験は明日への糧になっていくのだろう。

地べたを這うような生活だった5年間は、社労士人生の中で一番過酷な期間だったと思う。その後の人生で心が折れる出来事があるとは当時は夢にも思っていなかった……。

平成8年4月に、初めてアメリカ・グアム島に家族旅行に出かけた。海外は私にとって憧れであり、死ぬまでに必ず行ってみたいという願望が以前よりあった。

前の会社を退職した年の慰安旅行は、グアム島に行くことになっていたが、慰安旅行を前に退職したため、海外に行くチャンスを逃してしまった。

その時以来、自分の力で海外旅行をすると心に秘めていたため、それが叶った時は非常に嬉しかった。平成9年に"労働保険事務組合北京都経営労務管理協会"を設立した。

設立にあたり、30社以上の加入が必要要件であり、何とかクリアし、京都府知事認可団体として設立することができ、府のお墨付きを得るに至った。

同じ頃、社労士の先輩から従業員を雇用するようになると自身の生活リズムも安定し、メリハリがつくために挑戦してはどうかとアドバイスを貰った。