「いや。……なぁ、フレッド、やっぱり僕ら裸体デッサンからやり直したいと思わないかい?」

バジールは思わずカミーユの方を見た。モネは慌てて言った。

「いや、マドモワゼル・ドンシューにそれをしろというんじゃないんだ。君が着衣のモデルを務めてくれるなら、それはそれでいいんだよ。……そう、大歓迎だ。だけど、やっぱり、人物のデッサンは裸体からやり直したいと思うんだ」

バジールも何事か考えるように沈黙した。

カミーユの思考は乱れていた。モネはやはり納得していなかったのだ。

今回、モデルを募集するに当たって、裸体デッサンから始められることを最初から想定していたに違いない。けれどカミーユの態度を見てあきらめざるを得ないと観念しただけだ。

裸体デッサン─ 。

彼らはいとも簡単に言うけれど、親にすら見せることのない裸を他人の目に晒し続けるなど、どうしたら承諾できるだろう。

まして、それがタブロー(完成作品)になれば多くの人が目にすることになる。直接ではないにせよ、それは公衆の面前に裸を晒すということではないか。

「僕は、それをタブローにして公表しようとか売ろうとか考えているわけではないんです。

そこまで裸体画に興味があるわけじゃない。そうではなくて、人物を描くときの正確なデッサンの練習に、もう少し裸体を描き込んでおきたいんだ」

カミーユの懸念を読み取ったかのように、モネは意図を説明した。さらにバジールが補足する。

「かのレオナルド・ダ・ヴィンチは、人物や動物の骨格や筋肉の付き方まで熱心に研究していて、それが彼の作品に活きているわけだけど、僕らは裸体そのものの作品化を意図しているわけじゃないんです。ただ、体の形やその動きによる変化がわかっていれば、着衣の人物を描く助けになります」

モネはそこで、もう一度慌てて繰り返した。

「でも、だから君にそれをやってほしいと言っているわけじゃないんだ」

そして、バジールの方を見ると言った。

「フレッド、やっぱり、今度はハッキリと“裸体モデル求む”と貼り紙を出してみよう」

「裸体と書かなくても三週間も応募がなかったのに?」

「……そこはやはり、報酬を上げるしかないだろうか」

珍しく自信のないその様子からは、“裸体モデル”と募集して応募があるかどうかも、自分たちがそれ以上の報酬を支払えるかどうかも、いずれも難しそうだという感触がありありと感じられた。

カミーユは、初めてのモデルの仕事を終えて石畳の道に出た。腕も足もだるく重かった。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『 マダム・モネの肖像[文庫改訂版]』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。