研修期間中、地元のハイスクールを訪問した。校内を見学し、授業も参観した。先生たちと懇談し、生徒たちとも言葉を交わした。授業もさせてもらった。

それらの体験を通して、私はオーストラリアと日本の違いを肌で感じた。何よりも驚いたのが多彩な子どもたちだ。肌や目、髪の色といった外見だけでなく、話す言葉も様々で、英語とは限らない。しぐさや行動も変化に富み、「どういう意味だろう」と思うことがしばしばあった。五感を通して「多様性」を感じる私だったが、生徒たちの方はそれを特別なこととは思っていないように見えた。

授業も日本とは大きく違った。教室にいる生徒の数は少なく、机の並べ方も様々だ。カーペットが敷かれた床に座って授業を受けることもよくある。室内がゆったりとしているので、日本のように床に置かれた生徒の荷物をよけながら歩く必要がない。

授業の進め方も違う。先生が一方的にしゃべるのではなく、先生と生徒、生徒と生徒のインタラクション(対話や意見のやり取り)で進められる。そして、生徒もよく発言する。コンピュータが当たり前のように使われている。

多くの教室で障がいのある生徒を見かけたが、どの授業でもクラスに自然に溶け込んでいるようだった。

広大な敷地に平屋の校舎が建ち並ぶ風景、ゴルフコースのようなグランド、車で送り迎えをする保護者、外でランチを食べる生徒、教員室でくつろぐ先生、忙しく歩き回る校長先生。初めて体験するオーストラリアの学校は私に強烈な印象を残した。

この体験によって、オーストラリアは私にとってますます興味深い国となった。その後もオーストラリアを訪れる機会はたびたびあり、私の中でオーストラリアの教育への関心はさらに高まっていった。

2001年、私は定年を待たずに教員を辞めた。そして、大学院に入った。オーストラリアの教育を本格的に研究しようと思ったからだ。

26年間教師を続けてきた当時の私は暗中模索の中にいた。日本の教育に対する疑問や、教師としての自分への行き詰まりのようなものを感じていた。

背景や特性がどんどん多様化していく生徒の中にあって、自分ははたして適切な対応をしているのだろうかという疑問も膨らんだ。試行錯誤の毎日だった。

そうした中でふと思ったのが、オーストラリアの教育から何かヒントが得られるのではないかということだった。私は決断した。教員を辞めてオーストラリアの教育を研究しようと。50歳になる直前だった。