当時生徒が殴られることは日常茶飯事であり、それほど気にも留めていなかった。ところが次の瞬間、いおりちゃんはトイレに猛ダッシュし、そこに置いてあったサンポール(トイレ洗剤)を隣の家の窓を目がけて投げた。

いおりちゃんはまた怒られることになるが、当時はそんな事件がおもしろく、刺激的であった。ただ少しだけ、なんともいえない違和感を感じていた。

ありったけの怒りのエネルギーとともに放たれたサンポールを見て爆笑するクラスメートと、怒りの矛先をどこへ向けていいかわからずにもがく少女。

今振り返ってみるとそこには大きな隔たりがあった。そんな時でもなぜそんな行動に至ったのか、その子がどんな環境で生きているのか、そんな背景まで気にかけてくれる大人がどれだけいただろう。

そんな大人が多ければ、彼女はそこまで苦しまずに済んだのではないか。彼女もまた複雑な家庭で育った友達の1人だった。両親はいるはずだが、家に遊びに行ってもおばあちゃんにしか会ったことがない。

私はその詳細を聞こうともしなかったし、それがどうであれ、私と彼女の交友関係に何の影響も与えないことは明らかであった。あれから20年経った今、いおりちゃんは立派に家庭を守る母だ。

私には決してできないような大きな試練を乗り越え、強く、たくましく、愛情深く生きている。なぜ私たちはこうなったのか、どうすれば親への憎しみは消えるのか、などと議論する貴重な友達だ。

私もいおりちゃんも運動音痴だった。正確に言うと、いおりちゃんは運動ができるのに、あまりにできない私に合わせてくれていた。私の運動神経はちょっと悪い、というレベルではない。

50メートルは10秒以上かかっていたし、マラソン大会では走り終わる頃には本部が片づけられていた。運動が好きになれるはずもない。運動会の前の日は休ませてほしい、と泣いていた。学校の体育も大嫌いだった。

でもいおりちゃんは私にいつも付き合ってくれて、「ひとり」であることを感じさせないでいてくれる、有難い存在であった。しかし、ひょんなことから彼女と喧嘩してしまう。

その後、新しい友達はできたが、彼女が与えてくれたような刺激的な毎日ではなくなった。私の家庭は相変わらずであり、学校での不満を母に話せるような関係ではなかったので、自分の中でのストレスをうまく解消できず、イライラはたまっていく。

そしておとなしめの罪のない友達に矛先が向き、いじめの対象にする。1人をターゲットに決めると周囲にいた子たちが、自分はいじめられまい、と私の都合のいいように話を合わせ、傍にいてくれる。

いじめの理由はなんでもいい。話しかけたのに無視したとか、私に同調しなかったとか。そういう口実を作り出すのは容易かった。人をいじめている時は孤独感がないのだ。そのうちにいじめるという刺激が楽しくなってきてエスカレートしていく。

そして母や教師に対する反抗も加速していった。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『腐ったみかんが医者になった日』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。