小学校高学年になったある休日の朝、近くで火事があったというので見に行った。

家から徒歩5分くらいのところで、風に乗って焦げた臭いがしてきた。当時の担任の姿が見え、私は、先生おはよう!と言いながらのん気に近づくと、彼女は目を真っ赤にしており、ダメだったみたい、と言い残してその場を去った。

ダメの意味が理解できなかったが、嫌な予感がした。少し歩くと、人だかりがあった。そこには真っ黒に焼け焦げた2階建ての家があった。間違いなく同級生の男子の家だった。

その子は明るく、クラスの人気者だった。その火事で彼やその家族、隣の家に住んでいた彼のいとこ家族も亡くなった。火事に気づいて逃げようとしたのだろう、彼は階段を下りる途中で、彼の妹を抱えた彼の父親は2階から飛び降りる姿のまま発見された。

逃げる途中で大きな爆発が起こり、そのままの姿で固まってしまったようだ。なんで、どうして。つい数日前まで元気だったのに。私は動揺し、錯乱状態になった。今でもあの生々しく焼け焦げた臭いは忘れられない。

休み明けに学校へ行くと、彼の机の上には花瓶が置いてあった。

「夢じゃなかったんだ」

担任の目は充血したままだった。担任の報告にクラスのみんなは涙をこらえられず、しくしくと冷たく重い空気が私たちの呼吸を押し殺すようだった。

私たちは彼に誓った。自分の命を大切にすることを。少しずつ同級生の死を受け入れられるようになった頃、自宅に警察官が頻繁にやってくるようになった。

母は口を割らなかったが、あまりに気になったので、玄関先でひそひそと話しているところを盗み聞きした。言葉すべてを聞き取ることはできなかったが、耳を疑うような真実がそこにはあった。

同級生が巻き込まれた火事は放火であり、その犯人は母の教え子であった。そして母は犯人を庇うような供述をしていた。それを聞いた私は母が私の友達ではなく、人殺しの教え子の味方であるかのような気がした。

私は混乱し、平静を保つために自分の感情をコントロールする必要があった。私の心は色を失った。

いおりちゃん

6年生の頃、仲の良い友達ができた。その友達の名前はいおりちゃん。彼女は本当に明るく、突拍子もないことをやって楽しませてくれるので、家でのストレスや憂鬱な気持ちを晴らしてくれた。

彼女は私にないものを持っていて、一緒にいると毎日刺激的で楽しかった。彼女に対する憧れも強かったように思う。よく自転車で2人乗りをして焼鳥を買いに行った。

すぐ疲れるので運転は交代する。私は体力がなかったから、いおりちゃんが運転してくれることが多かった。私たちは1本60円の砂ずりを1本ずつ、お金がない時は2人で1本を分けて食べた。その時間が幸せだった。

彼女はお金がなくなると、おばあちゃんからもらっていた。そこに一緒についていったことがある。

「ばばあ! 金出せ!!」

衝撃的だった。私にはいつも優しかったいおりちゃんが、家ではこんな状態なんだ、みんないろいろ抱えているんだ。平凡な生活をしている子どもたちには到底理解できない気持ちを、彼女となら共感できる気がした。

中学生になり、彼女の行動はエスカレートしていった。ある日教室の中で担任に何十発も殴られていた。私は何があったんだろうと様子を覗っていた。