創立五〇周年記念式典の会場は、僕たちの例会場があるホテルGVだ。式典は夜六時三〇分開始。華やかに設しつらえた会場に彼らを迎え入れる。

高崎クラブの会長は上場企業(機械製造)の社長KSさんだ。英会話は堪能だ。式典実行委員長はASさん(電気工事会社社長)だ。二人とも黒紋付き袴姿で気合いが入っている。

ASさんはこの式典成功のためにクラブに自己資金一〇〇万円をポンと寄付してくれて、「足らないときには遣いなさい」と言ってくれた太っ腹の好々爺だ。実行委員長を務めるということは、そういうことなのだと納得した。

残念なことに、ASさんはこの翌年病没された。ご家族からは、記念式典の時には自分の病状や余命は承知していて、自身のロータリーライフの総仕上げのつもりで実行委員長を引き受けたと聞いた。会長KSさんもそれを初めて知って涙した、と話された。ロータリーが大好きだった人がここにもいたのだ。

両国の国旗を掲げ、国歌を斉唱し、地元二八四〇地区のガバナー地区内クラブを総括する国際ロータリーの役員、地区の最高責任者。任期一年だが、その二年前から実質的には準備が始まる)、地元政財界のお偉いさん数人から祝辞をもらって、やっと宴会が始まった。

その間、ずっと同時通訳の必要がある。通訳者には僕の義弟AHを頼んだ。彼は商社勤務のサラリーマンで米国在住歴は一七年になる。祝辞を同時通訳し、日本人が笑う場面では間髪を入れずオージーたちも笑う。すばらしい通訳だった。

食事は上州和牛のコース料理。記念式典が終わると、会員のオージー好きのYKさん(僕の入会時の面接担当者)が、彼らを自宅に招いての二次会に連れていった。

翌日は、彼らの希望によりバスによる草津温泉への一泊旅行に行った。草津において実行したのは、温泉体験、湯もみの体験、雪の残る観光地の散策など盛り沢山の温泉旅行フルコースだ。

最終日は、バスで軽井沢に行って有名アウトレット店街を散策した後、信州和牛のコース料理を食べさせて終わり。彼らは軽井沢駅から東京行きの新幹線に乗って帰って行った。名残り惜しかったのか、YKさんも東京まで付いて行ってしまったのはご愛嬌だった。

彼らが、僕に贈ってくれた最後の言葉は、「三日で三回和牛を食べたが、すべて産地の違う美味しい牛肉だった。ミスタータナカの配慮に感謝する」その一言だけだった。この経験が僕にもたらしたものは、「僕は旅行会社を経営できる」という自信だけだろう。その後もサーファーズ・パラダイスロータリークラブとの交流は続いているが、僕は一度も参加していない。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『ロータリークラブに入ろう!』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。