一九七〇年 夏~秋

1 通信簿と子猫の死

南に低く連なる山の稜線(りょうせん)を、雲一つない夏空が白く霞ませ、緑の樹々から湧き立つ蝉(せみ)の声は、ぼやけた大気をふるわせています。砂埃(すなぼこり)の積もった道の両側では、田んぼの土がにおっていました。挽(ひ) き込まれた牛糞(ぎゅうふん)は速やかに発酵して、発芽を待つ植物の養分となります。

身を灼(や)く烈日(れっぴ) の夏でした。と言っても、今のように熱中症で人が死んだりはしませんし、運動会の予行演習だって炎天下で行われていました。「かしらあみぎっ、なおれえ、まええならえ、やすめっ」などと、私たちは白線の引かれた校庭を、日がな一日回り続けていたのです。

終業式の日、私は汗だくで帰路についていました。ランドセルには憂鬱が詰まっていました。貰(もら)ったばかりの通信簿には4が一つに3が二つ、あとは2と1が並んでいます。それを見た私の心は縮こまってしまいました。

特に問題の教科は音楽でした。これの1を克服するために、私は『吉岡音楽教室』に通っていました。教室は吉岡先生の自宅の一室にあり、巨大なグランドピアノの足が古い畳にめり込んでいました。

レッスンをはじめようとした先生が、「綺麗(きれい)な手ね」と私の爪垢(つめあか)の溜まった手を見て呟(つぶや)きます。しかし、洗ってきなさいとは言わずに、あとで鍵盤(けんばん)を念入りに消毒していました。それを見た私は、もう二度とここへは来られないと思いました。

「ピアノをやめて算盤(そろばん)に行くけん。ええじゃろ」
家へ帰って私は母の益江(ますえ) に言いました。

「あのデモドリではあかんと思うとったわ」
母は理由も聞かずに先生をけなします。
「ほんなこっちゃけんリエンされるんよ」
小馬鹿にしたように言いました。

母は先生のことが嫌いだったのです。こうして一カ月分の月謝が無駄になりました。あの大きなピアノも先生と一緒にリエンされてデモドリしたのだろう、と私は思いました。

それにしても我ながら目を覆いたくなる凋落(ちょうらく)ぶりでした。入学時の知能検査の数値が高かったために、大人たちが私に勝手な期待をしたのです。母はそれを村中に自慢していました。ところが二年三年と学年が進むにつれて、成績は下がり続けています。母の落胆を思うと足は重くなる一方でした。
 

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。