第一章 大仲家のルーツ

3 子供たちのこと

長女 結花(ゆか)

妻和江との結婚の翌年に長女の結花が誕生しました。私が東京の阿佐谷でちょうどインターン修業中でした。その病院で私の立ち会いのもと、初産にしては円滑で安産でした。

早速、両家の父母に打電しました。数日後には退院したのですが、二月下旬の厳寒の中でしたから、オムツの洗濯には大変苦労した思い出が深く脳裏に刻まれています。

私は、国家試験を終えて、大学医局(脇坂外科)での修業の目的で、三月下旬には久留米市の旭町に居を構えました。六月には医師免許証を取得し、正式に医師として出発しました。

長女は四歳で久留米信愛幼稚園へ入園しました。途中、私の転勤に伴い、日南市の油津にある相愛幼稚園へ転園しています。卒園後は油津小学校に通学していたものの、今度は沖縄に移転し、小禄小学校、与儀小学校と実に四回も転々とさせてしまいました。

子供たちもストレスが多かったのではなかろうかと今さらながら案じています。以後、寄宮中学校から県立那覇高校を卒業して、長野県にある松本歯科大学を卒業しました。

同期生と結婚して、現在は神奈川県茅ヶ崎市に在住し、現地にて夫婦で歯科医院を開設しました。一男二女に恵まれ、三人共に目下歯科医師になるべく大学在学中です。時折、長女と再会するのを楽しみにしています。

長女 結花とともに(神奈川県にて)

長男 良仁(よしひと)
 

長男の良仁は一人息子のため、親の心情として、親元にて育てるのはどうしても甘やかしてしまう可能性が高いことが予測されましたので、与儀小学校卒業と同時に、中高一貫校である長崎県の青雲中学校にて学ばせることにしました。

幼い十二、三歳の子が、全く見知らぬ土地で学業に励んでいる姿を想像するに、親として決心して送り出したとはいえ、不安な数カ月でした。しかし、沖縄出身者が数人在学していることを知り安堵しました。

ところが、中途でホームシックで帰郷した子がいたことも後で知り、愕然としたものでした。

幸いなことに長男は、学業の傍ら剣道を始め同僚とコミュニケーションを構築し、余暇を有効に過ごしていることを知り安堵したものです。このときに初めて、長崎まで留学させたことは我ながら間違いではなかったと家内ともどもに安心しました。

苦楽修業の揚げ句に六年間が瞬く間に過ぎ、いよいよ大学受験の日を迎えました。金沢医科大学、愛知医科大学共に幸いにして合格しました。前者は冬場の寒さが厳しくアクセスの面で問題ありとのことで、後者に決定しました。

光陰矢の如しで、名古屋での学業も円滑に進み、医師国家試験にめでたく合格!

整形外科医として出発しました。

大学病院および関連病院での修業中に、長野県松本市出身の女性と結婚して、その後一男一女に恵まれました。孫の長男
は、目下獣医師を目指しています。長女のほうは薬剤師を目標に、二人とも大学在学中であり将来が嘱望されています。

長男 良仁とともに(大学の卒業式にて)
※本記事は、2020年3月刊行の書籍『 ひたすら病める人びとのために 下巻』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。