いつもは田畑や小山より海を見ていたが今は違う。キクさんや武と暮らした郷を海から見上げているのだ。いろいろなことがあった。少しは二人の役に立てたのだろうか、そして彼等はこの先生きてゆけるのだろうか、さまざまな思いが駆け巡っていた。

武君の父さん達は、ここから漁へ出て帰らないでいる。もしかしたら、状況は別として自分も同じルートを辿るのかもしれない。

皮肉なものだ。自分にも男の子が欲しい。日本の漁師仲間はどうなっているんだ? 安治さんの手配で、対馬で給油出来た。あと十時間もあれば釜山港だ。順調すぎる。桜を見てから別れたかった。武の鍬を持つ手に力が入らない。種を蒔く季節。キクはキクで、草を引いては手を休めて言う。

「郭さん、着いたろうか?」

「婆ちゃん。何回も言うな。手が止まるわい」と、キクのせいにしている。

「段々畑、父さんのヒマワリ、カボチャ。今年も気張って植えるけぇのぉ」

武はいつの間にか涙している。キクは思う。六十を過ぎた。体力も落ちてきている。武にもっと勉強させてやりたい。大阪や東京へ行ってしもうてもええ。腹をくくっていた。安治とキクが話し込んでいる。何やら真剣な話のようだ。武は聞こえないフリをして外へ出たが、安治の大きな声は外まで響く。

まとめると、こういうことのようだ。

神戸には働きながら勉強出来る所があるらしい。安治爺さんの知人が荷物運搬の会社をしていて、人手が不足しているとのこと。婆ちゃんと一緒に働いてみんか? と、ヒソヒソ声で喋っていた。

「私は何処へでも行くよ。あの子のためじゃったら。都会もええかもしれんねぇ」

その頃のキクは、何となく昔のような元気はなくなっていた。働けて学校へ行けるのなら……婆ちゃんも行けるのなら、文句はない。武は小耳に挟んだところで決めていた。

しかも、港の荷物会社なら、もしかして……。安治は、また此処へ戻ってくるのは面倒だからと言って、キクと話したことを武に伝えた。

「自分は神戸に行っても良いので、お爺さんにお任せします」

それを聞くと、安治は上機嫌で帰っていった。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『二つの墓標』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。