三 美味しい食の話

2 春霞

仄かで柔らかな春の陽差し。ぼやけてみえる浜辺の景色。まず思い起こすのは三保の松原。富士山とともに日本の美しい心象の広がりをみせる。

「春霞 たなびきにけり 久方の 月の桂も 花や咲くらむ」

(春の霞がたなびくようになった。遥か彼方の月にあるという桂の木にも小さな紅色の花が咲いているのであろうか)

平安時代の歌人、紀貫之も描いた世界だ。よく知られている能の名曲『羽衣』の中で、天人が春の景色を讃えながら舞をみせる始まりのところにこの一首が謡われている。

春の魚といえば春子鯛(かすごたい)。三月から四月にかけて旬の魚といわれている。この魚は本鯛の稚魚で、大きさはせいぜい三寸(一〇センチほど)、美しい薄紅色の花びらのように綺麗だ。この小さな鯛は繊細でくせのない美味なるものだ。鱗を落とし、三枚に卸して酢でしめたり、一夜干しにしたものを私は好む。

かつて私と共に二十余年、寝食を共にした「我が家のミーちゃん」お好みの干物の一つであった。また巡り、春が訪れる。その季節でしかいただけないものはありがたくも、かたじけなく、感謝々々である。

文明の発達のおかげで、地球のすべての情報が見聞きできるようになった。国外では、人は自己を主張するあまりに忌まわしい争いごとをする。そのようなことが媒介となって日本に病原菌のように派生してほしくないものだ。

人は幼少期から成人になるまで、季節の変わり目のように段階を踏み成長していく。生まれてから育つ過程のその節目々々でさまざまな体験をする。自身と社会の関わり合い。自身が社会に対してどのような責任を負わなければならないのか。はたと気づく感性を育むことの大切さを忘れてはいけない。

春は霞、秋は霧などと昔からよく言われる。このような豊かな自然の中で、心地よく過ごせる私の住む日本。数少ない平穏な所だといえよう。

「春の霞に思いを寄せ。浦の潮に時を知る」平安時代の歌人のように、豊穣な大地や大海原を自らの心の糧として、時には向き合う人の内なる尊さもあっていい。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。