そんなとき、顧客企業先で発作が起こり、先方の社長がびっくりしたこともあった。何度も所長と一緒に訪問している会社である。階段を昇るとすぐに応接間があり、前面の立派なサイドボードの上にはゴルフのトロフィーが何個か置かれ、数枚の表彰状が額に入れられ掲げられている。地区防犯の感謝状もある。

社長とのいつもの挨拶が終わると、早速用件に入り、

「御社の退職金規定を企業年金規定に改訂することを提案します。一時金規定を年金支払いもできるようにすると考えて頂ければ良いかと思います」

「毎月の、積立額は変わらないのですか」

「企業年金は、定年時の一時金をベースに計算しますが、年金支払期間十年、十五年など期間により異なります。企業年金は、一時金で受け取る方が多いのが現状ですが」

社長は、眉間に皺を寄せ、厳しい顔になった。

「積立金が上がるのは、ちょっと困るね」

という社長との話の途中に突然背中が重いなと思う間もなく、胸がちくちくと痛みだすと同時に胸に「きり」で刺したような強烈な痛みが走り、痛さを堪えてその場を立ち、よろめきながら後ろの観葉植物をなぎ倒し階段を駆け下りた。

胸の激痛に堪えて必死にポケットの「ニトロ」を口に入れた。「ニトロ」を口にさえ入れれば安心である。毎回のことでしばらくすると発作は治まることを知っている。

ただ今回のように企業先で発作が起きたことは、初めてであり、私自身驚いた。

今回の訪問で何とか説得するつもりで熱が入り過ぎ集中して社長と対峙していた。やはり度を越した集中力を必要とすることは避けた方が良いらしい。しかし、薬を飲めば、発作は治まるため、病状についてドクターが言うほどの不安は解消された。脳梗塞時の死ぬような思いとは違う痛さである。

そんな期間を十年以上過ごしたため、狭心症についての怖さは解消されつつあった。今思えば、綱渡りであり、何かに助けられて、強い発作に悩まされずに済んでいたことを喜ぶしかない。

自宅で、庭を眺めていると、いつもの庭が、昨日と比べると、違うように見える。これは、自分の目で見る奥深い力が日々変わっているのか。今日は、昨日見たジャスミンの花が「自分の命を大切にしなさい」と言っているように見える。

初めて「狭心症」の診断を告げられたころは、妻の食事療法を頼りに毎日その治療を信じ、夜遅くまでの業務を行っていた。病院に行けば、ドクターの言うことは必ずと言っていいほど、

「手術をすれば、楽になります。手術をしましょう」

私は、訳もわからず「薬を飲んでいるのだから大丈夫」と強気だった。

今思えば、血管が詰まっているから、「脳梗塞」になる危険性は高く、救急車で運ばれる事態が起こることは当然と言えた。病気も慣れると、怖くない。処置の仕方が分かるからだ。しばらく、そんな危険な状態が続いた。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『明日に向かって』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。