「じゃあ、家族の誰かが突然脳死になったとする。お父さんかもしれないし、お母さんかもしれない。お父さんもお母さんもさっき言ったように、臓器提供を希望していたとする。みんなどうする?」

「自分は臓器提供してもいいって思っていても、家族の同意が必要になるものね。お母さんは、やっぱり脳死っていう状態が本当に治らないものなのか、信じたくないと思ってしまうわ」

お母さんはとても難しそうな顔をしている。

「私もお母さんと一緒で、まだ体が温かい時に、もう死んでいるので臓器を取り出します、って言われたら、止めて、って言いそう」

「実際にはそんな言い方はしないと思うけどな。お父さんは、もしもお母さんが臓器提供を希望するのであれば、多分、先生夫婦みたいに、希望を叶えてあげるのもいいんじゃあないかな、って思っているよ」

「私は無理。だってお母さんがいなくなるんでしょ」

目に涙を浮かべて、加奈子は絶句してしまった。

「おいおい、加奈子。これは仮の話だからな。例えば、体は死んでしまっても心臓は誰かの体の中で生き続けてくれている、っていう考えもある、という風にも書いてあるね。こういう考え方もあるんじゃな」

お父さんは学校からもらってきたプリントを見ながら言った。

「お母さんも、お父さんが望むなら、多分しぶしぶだけど、賛成することにするわ。確かに、誰かのために役立って、その魂だけでも存在し続けてくれている、って思うことで少し報われるって考えられるかもしれないね。

ただ、もしも子供たちが脳死になった時には、0.1%でも可能性が残っているのなら、あきらめずに治療を続けてほしい、って願うと思うの。私たちが脳死を死とした時点で亡くなってしまう。考えられないわ」

「でも、お母さん、僕が臓器提供を望んでいたとしたらどうする?」

「由大、縁起でもないことを言わんといて」

「先生が言っていたけど、脳死って脳全体の働きがなくなった状態のことで、人工呼吸器などの助けで少しは心臓を動かし続けることができるけど、それでもいずれ心臓も止まってしまうんだって。0.1%も可能性がないっていうことだよね。だったら、僕の臓器は誰かに役立ててほしいよ」

「由大、ええことを言うなぁ。自己犠牲というのとはちょっと違うけど、どうせ死ぬのなら、誰かがハッピーになれるように、少しでも役に立ちたいもんな」

「でも、残された家族はめっちゃ悲しいよ。私はやっぱり、少しでも長い間、この世に存在してほしいよ」

加奈子は相変わらず泣いている。

「孝太もお姉ちゃんに賛成じゃ。できるだけ長く生きていてほしいよ」

「ほうじゃのう。その気持ちも分かるような気がするのう。まあ、先生が言うように、こうやって家族内で臓器移植について話をすることが大切なんじゃなぁ。結論はすぐには出ない。臓器提供を希望しても正解、希望しなくても正解。

後は、実際に家族の誰かが脳死になった時に、それまで、どのように話し合ってきたのか、そして、その思いをどのように尊重してあげることができるのか、というところかな」

お父さんがうまくまとめてくれたような気がするが、やっぱり、何か胸に引っ掛かったような感じが少しだけ残った。自分はどうせ死ぬのなら他の人の役に立ちたいと思うが、家族が死んで臓器提供することはどうしても抵抗を感じてしまう。

臓器提供を希望する人、希望しない人、臓器移植を受けたい人、受けたくない人、臓器移植には様々な立場の人がいて、それぞれにとても深い思いが込められている。

「人の死」を身近に経験したことがない由大にとって、どうしても想像の域を超えることはできなかった。由大は、宿題の感想文にはとりあえず“臓器提供を希望する”という内容で書くことにした。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『たすき』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。