「おいくらですか?」

ムッシュー・モネが立っていた。

今日もおしゃれな黒のスリーピースを着て、首には濃いグレーのクラヴァットを付けている。カミーユは突然、涙がこぼれてくるのを止められなかった。今の張り詰めた気持ちも、何日も待ち焦がれていた気持ちも、涙になって一度に溢れてくるようだった。

ムッシュー・モネはそんなカミーユをじっと見詰めてから、店主をその強いまなざしで見据えた。

「私がお支払いします。おいくらですか?」

店主もさすがに動揺は隠せない様子だったが、そこは商売人である。突然、人が変わったように表向きの声を出した。

「これは私ども、店の内のことでございますよ。お客様にお立て替えいただくなど、とんでもない」

もう笑顔さえ浮かべている。

「それより、今日はどういったご用向きでございましょう?」

ムッシュー・モネは店主をほとんど睨み付けていた。若いのにずいぶん迫力がある。しかしこの場合、彼が支払うことも店主がそれを受け取ることも常識的に考えればありえない。ほかの用事があって来店したのに違いないのだ。

彼の厳しい視線を店主が愛想笑いでかわすうちに、その話題は宙に消えてしまった。ムッシュー・モネは不機嫌極まりない声で言った。

「支払いと受け取りに。オスカル=クロード・モネです」

「ああ、ムッシュー・モネ、お待ちしておりました。ほら、商品をご用意して」

カミーユは、とりあえず拭き取れるインクだけ拭き取ると店の奥に走った。早く渡してあげたい、早く。こんなにも待っていたのに。何事もなければきっと、もっとずっとうれしい瞬間だっただろうに。

店頭に戻ると、アパルトマンで見せたのと同じように包みを開けて見せた。ムッシュー・モネは一度深く頷いただけで、あの笑顔を見せてはくれなかった。

彼は店主の方へ向き直り、今度は財布を取り出した。店主の前にフラン紙幣を重ねていく。店主は客の機嫌を取ろうと必死だ。

「前回お作りいただいたスリーピースも、ジレをこちらに取り替えていただくだけで、まるで別のスリーピースのように新鮮でおしゃれですよ」

ムッシュー・モネはにこりともしない。必要な分だけ紙幣を置くと、

「確認してください」

とだけ言った。店主は紙幣を数え直すと、

「確かに。ただいま領収書とお釣りをご用意いたします。少々お待ちください」

そう言って店の奥に引っ込んだ。店主は金の出し入れだけはほかの誰にも任せない。

店頭には、ムッシュー・モネとカミーユだけが残された。カミーユはできるだけ物音を立てないよう、インクのこぼれた跡や壺の破片を片付けていた。すると、頭上から声が降ってきた。

「君、今度の日曜、午前十時にもう一度僕らのアトリエに来てくれないか」

ムッシュー・モネは奥に聞こえないよう低い声で囁(ささや)いた。カミーユには何が何だかわからなかったが迷いはしなかった。声を出さずに、一度こっくりと頷いた。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『 マダム・モネの肖像[文庫改訂版]』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。