新しい作業の見方に出会う

どうにか元気になった私に浮かんだ考えは、「今は長年の謎を探索する時だ。作業療法って何かを探しに行こう」でした。

私の頭には、真っ赤なナップザックを背負って、色んなところを探し回る自分の姿がありました。作業療法のすばらしさを伝えようとしたときに経験した言葉にならない感覚を「すっきりさせたい」という欲求でした。国内にピンと来る学びの場所を見つけられなかったので、留学することに決め、準備を始めました。

そして私が1996年に留学先の南カリフォルニア大学で出会ったのが、作業科学でした。1917年にアメリカで始まった作業療法の基本理念に基づく学問であると紹介されました。

人々の健康に貢献するために、作業を研究の中心に置き、作業的存在としての人間を研究します。

人々を援助して、健康・ウェルビーイングを促進する作業療法を支える理論・知識を産生することを目的とする学問であり、社会科学のひとつであると説明されました。そう言われても、当初、よく理解できませんでしたが、私は期待に興奮していました。

作業科学を学ぶにつれて、私の迷いは少し晴れていったようです。

それまで自分が馴染んできた作業療法は、かなり限られた見方で人間を見ているのではないかと考えるようになりました。自分が持っていた治療者側からの一方的な見方にも気づくようになりました。

同時にそれは専門職の持つ難しさであるとも考えるようになりました。私は、どんどん作業科学の持つ、広い視野で人間と健康を研究する位置づけに深く魅せられるようになりました。

困っている人の生活の再構築を支えるヒントは、私が作業科学から学んだ大切なことのひとつです。人間には、計測できる力や運動機能だけでなく、生活そして人生があり、価値観があり、社会の中で影響し合いながら、自分の意志で生きているということに気づくようになりました。

人は作業(日常の活動)を通して、意志を持って、前に進み、周囲に対処しようとして生きているとイメージするようになってきました。

作業は我々が生きることそのもので、作業をその人の見方で理解し、作業を通してポジティブな方向を目指すことが、その人自身をサポートすることになります。そのような作業の見方が大事なのです。

作業的存在として人間を見ることには、先に続く物語をつくることを可能にする、明るくする、回復を手助けする可能性があると考えるようになりました。

留学後、再び大学に勤務し、自分が納得した作業の見方を学生さんや作業療法士の仲間たちに伝えようと授業、勉強会、ワークショップを続けてきました。

試行錯誤の結果、作業の見方を学ぶには、リアルに生活している人(自分自身、自分の身近にいる人)の話に耳を傾けて、日常の作業を理解する実践練習を積み重ねることが必要であることがわかってきました。

そして、聞き手と話し手がうまく作業の話を共有できるようにするために、写真の力を利用することにしました。私の弟がうなぎのタレの容器を積み重ねた写真にはリアルな作業の力が表れていました。

このプロジェクトにも、そんな日常の作業を映した写真の力を利用しています。その結果誕生したのが、実践的プロジェクト「作業的写真」なのです。