居場所

家にいるのが嫌で、習い事(これに関しては自由にさせてくれた)を手当たり次第始めるが、すぐに飽きて辞めてしまった。

そろばん、合唱、水泳、公文式、エレクトーン、習字、トランポリン、アイススケート、杖道(武道の一種)などなど。続いたものは1つもない。当然だ。母と一緒にいたくないだけで始めたのだから、やる気なんてあるわけない。

今思えば決して裕福とは言えない環境で、これだけ経験をさせるのは大変だっただろうと思う。でも結局、習い事には私の居場所は見つからなかった。

隣の校区に「あつてんこん」という店があった。年季の入った店の中には大きな鉄板があり、駄菓子売り場やテーブルゲームが置いてあった。厚揚げ、天ぷら、こんにゃくのおでんを売っているお店だからそう呼んでいた。

厚揚げ2枚と天ぷら1個、こんにゃく1個を注文する時は、「あつあつてんこん」と言うと店のおばちゃんが容器についでくれる。1つ20円くらいではなかっただろうか。そこのハムマヨ(ハムとマヨネーズだけの薄っぺらいお好み焼き)が好きだった。大きな鉄板に慣れた手つきでクレープのように焼いてくれる。お金に余裕がある時はそこでジャガバターも焼いてもらった。

若者のコミュニティーがそこにはあった。皆ほぼ無干渉で、思い思いにゲームをしたり、漫画を読んだり、あまりに居心地がいいので、よく行くようになった。当然お金が必要になり、小遣いをあげてもらうことが不可能であることは承知していたので、私は家族からお金を盗むようになった。

最初は母から、そして実家の祖母や叔父たちの部屋にも侵入するようになった。その頃にはもう祖父は他界していた。別に祖母や叔父が嫌いなわけではなく、お金がほしいだけだった。そうしなければ私は外の癒しの世界に行けないのだ。だから必死に盗んだ。

そうやって盗んだお金で外の世界をエンジョイし、いくらか癒された心も、家に帰ると一瞬で元通りだ。むしろ外の世界が楽しい分、家のちょっとした嫌なことでも大きなストレスに感じた。

「お母さんは教師なのに、子どもが泥棒なんて恥ずかしいじゃない」

「しっかり育てているのに、母子家庭だから子どもが不良なのよ、なんて言われたくない」

世間体なんて気にしてないわ、と言っていた母だが、頻繁に私がお金を盗むようになった頃からこんな言葉をよく言うようになっていた。そして母の過干渉もエスカレートしていく。

仲の良かったまきに、「あなたと仲良くなってうちの子が不良になった。もう近づかないで」と。

これには絶望した。親であれば子どもが大切にする交友関係にまで口を出す権利があるのか。そして母は私が悪いことをした後、必ず罰を与えていた。友達からの電話をつながない、外出禁止、晩御飯抜きなどなど。それが大きな苦痛であったはずなのに、私は「母の教え」と同じように悪いことをした友達に罰を与えるようになる。