そもそも書いてないことは合意事項とはみなされないと言っても過言ではありません。

従い、「ああ、書いてなかったね、それではどういうふうに契約の補足事項に入れ込むか話し合いましょう」と零地点まで遡って交渉しなければなりません。

当然それによって目論んでいた経済的な損得も変わってきます。

私の場合、部下の若い人たちに海外との交渉をしてもらいますが、観察しているとどうしても曖昧な部分をはっきりとさせずに次の話題にいこうとするのをよく見かけます。

「何でそこを曖昧にするの?」とつい詰問調になってしまうのですが、日本人の傾向として、そうなるのには二つの原因があるように思います。

一つはそこまではっきり言うと相手が気分を害すのではないかという変な遠慮をしている場合と、二つ目は「そこまで言わなくても相手もわかっているでしょ」という甚だ都合のいい解釈をする場合です。

そういう時に私は、「今のところ先方はちゃんと理解していないぞ。相手の表情を見ていればわかるでしょ。戻ってはっきりさせなさい!」と横から言わざるを得ないのです。

これはビジネス上大きなリスクと言わざるを得ません。さらに一つ目の変な遠慮をするのはどちらかというと20代、30代の日本の若い人に多いように思えます。私にとっては要警戒ポイントなのです。

ところで、このような交渉の末、契約書ないし合意文書に書き残すのは、欧米は契約社会だからという解釈が一般的です。

しかし、私はそういうことではないと思っています。価値観を共有し、皆がある程度きめ細かいのが普通の社会は日本以外にはほとんど存在しません。他国はどこも日本人的価値観から見たら超いい加減でありながら、それでも社会が廻っているのです。

そんな中で、お互い人種、宗教など文化的背景も違い、考え方も違う者同士が取り決めをしようとしたら、書いて証拠を残すしかないのです。

アジア諸国、中東諸国とのビジネスもそうやって成立させていく他ないのです。

「欧米は契約社会だから」という紋切り型の解釈はそろそろやめた方がいいと思うのですが如何でしょうか?

もちろん日本国内のビジネスにおいても、最低限経済的な事項、その他のインパクトが大きい事項は、[取り決めとしてきちんと書き残す]という習慣が求められるのは言うまでもありません。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『ビジネスパーソンのための超実践的交渉術 ⽇本⼈の交渉のやり⽅』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。