〈野崎哲也の事情〉きっかけ

1993年。

この年は東京都の河川敷で矢が刺さった鴨が痛々しい姿でテレビに現れた、通称“矢ガモ事件”があった年だ。毎日のようにテレビで報道されていたからよく覚えている。バブルの崩壊が深刻化し社会問題として取り上げられ始めたのもこの時期だった。

だが、中学生の私(野崎哲也)にとってそんなことなど、どうでもいい話題だった。

世間は開幕したばかりのJリーグに沸き、初のワールドカップ本選出場へ期待を膨らませていた。当時、一世を風靡していた三浦知良のカズダンスと呼ばれるゴールパフォーマンスに影響を受けた男子が、サッカー部に殺到するという社会現象まで起こっていた。

北海道の田舎町にまでその影響は及び、当時13歳だった私もその勢いに乗ってサッカー部に入部した。ただ、私の場合、大してサッカーに興味があったわけではなく、みんなが集まるコミュニティに自然と足が向いただけだった。

学校は自宅から歩いて10分ほどのところにあった。舗装されていない林のなかを行けば5分で到着する距離だ。学校が近所にあるのはラッキーだったが、学区が変わったせいもあって、顔見知りはほとんどおらず、あまり社交的とはいえない私は入学以来、これといった友人もできないままクラスでも浮いた存在だった。

そんな私に「一緒にバンドやらないか?」と声をかけてきたのは隣のクラスの宇山祐介だった。祐介は同じサッカー部に所属していて、私とは対照的に明るく社交的で誰とでもすぐに打ち解ける特技を持つ男だった。彼の周りにはいつも自然と人が集まっていた。

細身で身長も特に高くはない祐介は、部内でも決して群を抜いてうまい選手というわけでもなかったが、リーダーシップとは違う不思議な影響力を持つ男だった。

例えば、入部して早々にあった上級生との紅白戦。

その紅白戦は、新入生の歓迎会と称したものだったが、みっちりチーム作りをしてきた上級生に、つい先日まで小学生だった寄せ集めの1年生ではかなうわけもなかった。要するにこのゲームは、お互いの力関係を理解させるための意味合いが強いものだったのだ。

紅白戦は前半を終えた時点で0−2と一見すると1年生が善戦しているようにもみえたが点差以上に一方的な展開だった。

ところが後半から祐介がゲームに加わると、敗色濃厚な流れが一変した。祐介はチームメイト一人一人に駆け寄っては声をかけ、大きな身振り手振りでチームを鼓舞し始めたのである。 

そして彼は誰よりも走り、上級生を恐れることなく激しい当たりを繰り返した。身体の小さな祐介は簡単に競り負けていたが、試合をあきらめかけていたチームメイトは、祐介の奮闘に引き寄せられるように、ボールに食らいつくようになっていった。ベンチから見ていても、少しずつチームが一つになっていくのがわかった。

やがて1年生のチームは息を吹き返し、あっという間に試合をひっくり返して、上級生相手に勝ってしまったのである。

試合後、コーチから怒られてバツの悪そうな上級生を横目に、してやったり顔の祐介がいた。その後も彼はいつもはチームの中心にいて、頼りになる存在であり続けた。

そんな祐介が、対照的な自分をつかまえて、いきなり「バンドをやろう」などと突拍子もないことを言ってきたのだから、そのときは心底驚いたものだった。さすがに私は返答にもたついてしまったが、祐介はお構いなしに話を進めた。

「俺、バンドやりたいんだよ。でさ、哲也の家にギターがあるって大谷から聞いたんだけどさ、お前、ギター弾けるの?」

私はきょとんとした顔をして見せた。いきなり呼び捨てにされたことよりも、同じサッカー部員の大谷が自分の自宅にギターがあることを知っていたことに驚いたのだ。

思い返すと心当たりはあった。

確か先週、部活帰りに大谷が海外サッカーのビデオを貸してほしいと、家に寄っていったとき、リビングで父がギターを弾いていたのを興味深そうに見ていた。私は祐介に「ギターは父のもので弾いたことは一度もない」「音楽にあまり興味がない」と、やる気がない思いを一通り口にした。だが、そのときの細かい事情は、祐介には正確に伝わってないようだった。

「でもギターはあるんだろ? じゃあギターは俺が教えてやるから一緒にやろう!」

そう言って祐介は尻尾を振る犬のように返答を求めた。私は首を縦に振る以外の選択肢は思い浮かばなかった。

「大谷もギターやりたいって言っていたから一緒に練習しようぜ! 今日学校帰りにウチに来いよ!」

展開が早すぎてついていけない私は、眉間に皺を寄せながら困った顔をして見せたが、祐介はあまり気にする様子もなく、私の知らないミュージシャンの話をして一人ではしゃいでみせた。すると大谷がタイミング良くやってきて、祐介の肩に腕をまわして絡むように話に加わった。

大谷は1年生にしてサッカー部のエースだった。すでに180センチほどある恵まれた体格と高い身体能力を持つ彼を止められる部員はおらず、上級生からも一目置かれている男だった。また、大谷は納得のいかないことがあれば先輩や教員にも食って掛かっていく性格で、校内でも少し浮いた存在であった。

そんな大谷と祐介は不思議と仲が良かったが、私は大谷のことを苦手にしていた。先週もサッカーのビデオを借りるために半ば強引に自宅までついてきた彼を面倒くさく思っていた。

立ち話をしている途中、急に祐介が「今日、お前も来るだろ?」と大谷を自宅に誘ったときは、「来ないでくれ」と心のなかで願っていた。やがて昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響くと、祐介は私の肩をポンと叩き、「じゃあ、放課後な」と得意げに告げて自分の教室に消えていった。

そして放課後になると祐介と大谷は丁寧に教室まで迎えにやって来た。帰宅途中も浮かない顔をしていた私は、二人の後ろについて歩きながら、適当なことを言ってさっさと断ろう、と言いわけをずっと考えていた。

ところがこの日、祐介の家でよくわからない海外アーティストのライブビデオを観てしまったせいで、私のアイドルはマラドーナからアフロヘアのジミヘンドリックスに変わることになったのである。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『旅するギターと私の心臓』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。