文士達の夢の跡 本郷界隈

東京大学の正門と赤門が面する本郷通りと、その西側を平行して走る白山通りとの間の住宅地帯は、明治・大正時代に多くの文士達が活躍した縁の地です。

本郷界隈には嘗て有名な作家が住んでいた場所、宿泊した宿屋、ホテルのあった所、歩いた道、通った質屋、使った井戸など縁のある場所が沢山あります。

明暦の大火、振袖火事で有名な本妙寺坂の途中に「菊坂界隈文人マップ」という案内板が建っています。その地図には明治・大正時代の文士達が何処で何をしたかが記されています。この狭い地域にかくも大勢の文士達が割拠、往来していたかと驚くばかりです。

ご参考までに案内板に載った人達の名前を掲げておきます。

坪内逍遙、夏目漱石、島崎藤村、尾崎紅葉、二葉亭四迷、徳田秋声、樋口一葉、宮沢賢治、金田一京助、石川啄木、正岡子規、高浜虚子、広津和郎、宇野浩二、久米正雄、野間宏、長谷川如是閑、内田百閒、直木三十五ほかとなっています。

明治時代に西欧文明を受け入れた日本は、文学、絵画、音楽など文芸面でも西欧の影響を強く受けました。文芸の世界にとって明治・大正時代はあらゆる動きが一気に噴き出した激動の時代でした。

写実主義のリアリズム文学、叙情的な浪漫主義文学、客観的に事実を追求する自然主義文学(日本的表現が私小説)、社会と個人の関係を追求した社会批判的文学など、多くの文芸表現が一時期に開花したのです。

その文芸開花の時代に活躍した文士たちの多くは、何故かこの本郷界隈に生活と仕事の場を求めました。本郷界隈は、江戸時代は武士の街、大正・昭和時代は学士の街と言うなら、明治・大正時代は文士の街でした。そこから文京区の名前が生まれたのでしょうか。

しかし、現在は文士達の足跡として見るべき建物など、形として残されたものはなく、文京区が立てた看板でその歴史を知るほかありません。

明治・大正時代に多くの文士達に愛用された菊富士ホテルは今はありませんし、石川啄木が常宿にした蓋平館別館は太栄館と名前を変えて存在しますが、建物は当時のままではありません。

有形文化財に登録されている鳳明館本館だけが、唯一つ明治時代の面影を残しています。鳳明館本館は和風旅館ですが、交通の便の悪い住宅地の奥にあるにも拘わらず、和風安宿と云うことで若い西洋人観光客が大勢泊まりに来ています。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『東京の街を歩いてみると』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。