「俺のせいなんだ」

靄が晴れるまでは殺風景で味気ない景色だったが、晴れた今、見える世界は文字通り一変した。

水陸の境目にはイグサやカヤがはびこり、水面を覆う浮き草は、舟が作る流線型の波紋でぷかぷか揺れていた。両岸の奥は(くぬぎ)林で、黒く染めあげた空に弓なりに枝を伸ばしている。そこから紅葉した葉がはらはらと舞い落ちて、水面を唐紅(からくれない)にくくっていた。

さらに両岸を縁取るようにして、妖艶な赤色の花弁が咲き乱れていた。この花はたしか彼岸花だ。それが一定間隔で植えられ、すべておなじ高さで揺れている。それは自然発生的な咲き方ではなく、人の手が加わっているように感じられた。滑走路を照らす照明灯のような趣で、人生の旅路と重なり、なんだか沁沁(しみじみ)とした心持ちになる。

人垣を視界に入れないように意識すれば、の条件付きだが。人間、鈍感でいるくらいがしあわせかもしれない。

「諌さん、次の光が見えてきましたよ」

庄兵衛の声に視線をあげると、そこにはたしかに次の光が宿っていた。

「次は、どんな記憶だろうか」

「振り返ってみるに、楽しい記憶ではなさそうですね」

「まったく、これじゃあまるで大悪党の気分だよ」

光は帯を引きながら周囲の闇を照らしている。わたしはその中心を眼で追いながら、その傍らに佇む小柄な人物の横顔をなんとはなしに眺めていた。やがてわたしの意識のすべてはその人物にのみ注がれる。ま、まさか。いや、そんなことが。居ても立っても居られず、船縁から身を乗り出す。

「母さん」

光を灯す岸の向こうに、わたしを生み、育ててくれた母が佇んでいた。額に刻まれた消えない皺に、わたしの目頭が否応なく熱くなる。けれども母の表情はまったく失われている。

「母さん、わたしだ。諌だ」

全体重を舟の右側に預け、声を張りあげた。とても正気ではいられなかった。再会は望めないと諦めていた母が、目と鼻の先にいるのだから。だが小舟は二人の体重を支えきれずにおおきく傾く。

「諌さん、このままでは」

庄兵衛は櫂の先端を支え棒のように川底に押し立てた。おかげで転覆(てんぷく)は免れたが、危険な状態であることには変わりない。

「諌さん、船縁から離れてください」

「でも、あれは」

「このままでは転覆します」

必死の説得には抗えず、歯ぎしりしながら後ずさる。だが視線はひとときたりとも逸らさない。小舟はヤジロベエのようにゆれて均衡を取り戻した。