明石の入道の滑稽

明石にいる光源氏に赦免と京への帰還の宣旨(せんじ)が発せられて、光源氏は、京へ向けて出発した。明石の入道は、明石に置き去りにされた娘(明石の君)のことが心配でならない。

このころの入道の様子である。入道は、(ほう)けたように、昼は寝て暮らし、夜は目が冴えて眠ることができない。「数珠(じゆず)がどこかへ行ってしまった」と言って、素手で合掌(がっしょう)している。弟子たちからはバカにされる。

月夜に庭に出て(ぎょう)(どう)をしようとしたところ、足元がふらついて()(みず)に倒れ込み、由緒ありげな岩の角に腰をぶつけて怪我をして、寝込んでしまった。

ここで、紫式部の登場である。

()()したるほどになん、すこしもの紛れける」(寝込んでいる間だけ、娘の心配をしないですんだ)。

それから十三年後のことである。光源氏と明石の君との間に生まれた明石の姫君は、今では東宮の女御であり、男御子を出産した。これを伝え聞いた明石の入道は、自分の孫娘が国母(こくも)(帝の母)になるという大願成就が近いことを知り、大いに喜んで、邸を寺に造り替えた上で、わずかなお供とともに山奥に姿を消した。

明石の君に宛てた手紙では、入道は、「命いのち終はらむ月日もさらにな知ろしめしそ。いにしへより人の染めおきける(ふぢ)(ころも)にも何かやつれたまふ」(私が死んだ月日を決して知ろうとしてはならない。以前から用意してある喪服を着る必要もない)と言う。

これらはいずれも、明石の女御が受領階級出身であることを世間に知られないようにしようという魂胆による。しかし、明石一族が受領階級の家柄でありながら栄華をほこっていることは、すでに世間に広く知られているところであって、明石の入道の一人芝居であるに過ぎない。さらに言えば、猿芝居である。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『源氏物語 人間観察読本』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。