事案に関するお互いの考え方の相違は、契約者、受取人の言うことを第三者が、勝手に今までの経験で理解されておりそのところに不安が積もり、お互いへの苦情となっていたものであった。

今回は、時間をかけて説明することによりその不安は解消されて、お互い理解することが出来た。関係書類に署名を願い、この案件は無事解決した。この件で、父親が最後に言ったことが忘れられなかった。

「私は、戦闘機のパイロットになりたくて、最初に単発飛行機から双発飛行機へと進み、その段階で「君は、日本の戦力と成り得ず」の一声で管制官へと進路変更を余儀なくされた。しかし、その間、使命感に燃え、日本の空を防衛していることに誇りをもって、毎日緊張して業務についていた。

十数年前に退役し、退役後はゆっくりしようと毎日の緊張から解放され、妻と共にのんびりと生きることを選んだ。妻は、退役後三年して脳膜下出血で世を去った。私は、それから糸の切れた凧のように目的もなく、風向きによって変わるような生活が続き、時には理由もなく怒りっぽくなり、娘には迷惑ばかり掛けてきた。

今思えば、自衛官の時の緊張した毎日が懐かしい。やっぱり男は、目的なくしては生きられない動物ですよ。退役時に勧められた関係民営会社に勤めておけば良かったと思う。定年なしで、身体が続くまでは勤務できると言っていた。その時は、全く、その気はなく、妻も『ゆっくりしなさいよ』と夫婦とも定年後に仕事することを考えたこともなかった。

この年で、こんなに元気であろうとは思わなかった。貴方も定年後は、長く仕事できることを考えた方が良いですよ」

今でも、覚えている。

「定年後の進路を誤るな。誤るとこのような悲惨な目に合う」

私に、切々と訴えるように言われたことを忘れたことはない。受取人の娘さんも、その言葉を聞いて、目頭を熱くしていた。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『明日に向かって』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。