先日の出来事があって、自分の中に変化が感じられた。何のために生まれてきて、これから何をしたらいいのか、誰もが自問自答する青年期がある。

その答えが出ていないことさえ忘れていたのに、ふいに思い出した。結婚して歳を取ると、互いの介護のことが頭に浮かぶ。漠然と京子が私の介護をしてくれると決めつけていた節があった。女性の方が長寿だからだ。

ところが今の現実は? そのことを暫く考えていると結論が出たように思った。

『そうか、そういうことだったのか』

結婚した当時、思いつきもしなかった答えが五十年をかけて出た瞬間だった。

京子という一人の人間の介護をしながら、寄り添って生きること。

それが、神から与えられた私の役目だったのか。それなら将来、自問自答することがあっても胸を張って言えるように、今を京子に捧げよう。勿論、私達はこれからも楽しくなければならない。しかし、私の心が一直線に突き進んだのもつかの間、京子の病室に近づいていくうちに、急に振り向いた。

「……?」

高潔な理由を打ち立て、自分を納得させたと思いながらも、何で自分達なのだろうか、という歯ぎしりしたいほどの病に対する口惜しさが、突然に込み上げてきた。振り切ろうとしても、振り切ろうとしても、湧き上がってくる。

十万人に七~八人という「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の罹患である。簡単に現実を受け入れることはできない。病院の窓ガラスに映る置いてきぼりになった自分の歪んだ姿を見て、思わず佇んでしまった。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ALS―天国への寄り道―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。