第2章 木はその実でわかる

今回も引き続き、日本維新の会・中丸 啓議員のカトリック教会に関する重大な発言について見ていく。(前回記事:改憲反対活動を信者に義務として奨励し遂行

私は司教団が直ちに何がしかの反論をすると思った。問題点は単純である。

1.中丸議員の挙げた「活動」を、したのか、していないのか。   

①  行為そのものをしていない。  

 ②  行為はしたが、それは宗教活動であって反社会的活動ではない。

2.公安が“必要な情報”を集めている、ということは、国家権力の宗教への介入である。どのような情報を集めたのか、直ちに公開を要求する。秘密にすることは許されない。秘密があってはならない(「特定秘密保護法」に司教団は反対している)。

2012年5月27日、カトリック横浜司教区・貝塚教会(川崎市)において、警察が敷地内に無断で入り、フィリピン国籍の信徒に対し職務質問を行った上、同敷地内で旅券不携帯ないし常時携帯提示義務違反の罪により現行犯逮捕した。

ほぼ1週間後の6月5日、横浜教区長名で神奈川県川崎臨港警察署長宛に抗議文を送り、6月12日、同署々長・本山某警視より、行為は「不適切であった」との回答書を取っている。それでも収まらず6月21日、日本カトリック司教協議会・会長池長潤大司教、並びに会員一同名で、松原仁国家公安委員会委員長、片桐裕警察庁長官宛に「要請書」を提出している。

要請書とはいうものの、

川崎臨港警察署の前記行為に対して重ねて強く抗議します。このことは川崎臨港警察署管内の問題だけではなく、全国レベルの問題でもあります。2012年6月21日開催された司教総会の総意をもって、日本のカトリック教会を代表するカトリック司教協議会会長として貴官に対し、警察が、憲法に規定されている基本的人権を守り、宗教団体の信教の自由を尊重し、宗教活動に対する妨害行為をしないこと、及び教会の周辺においても教会の宗教活動を妨害しないように慎重に配慮することを、管下の警察に周知徹底するため、必要な措置を講じられるように要請します。

という文面から、これは抗議文である。

警察の状況説明がないので教会側の資料によるしかないが、今後、“不審者”が教会に入っても、警察は直ちには動くな、ということである(警察はもっと詳しい状況、踏込理由を公表すべきである。その必要があってのことだったか。もし敷地内踏込を必然とする理由がなかったのなら、あるいは誤認だったのなら、それをその通り公表すべきである。しかしこのことも“捜査上の内部情報”であり、対象者の“プライバシー”を含んだ別な人権問題に抵触するかもしれない。その意味では警察・公安もまた「正面から対応してこない」相手である)。

何事も“初動”が重要であるが、司教団はそれを封じた。権力を「共通善の保護者」としてではなく、その抑圧者と見ているから、こういう抗議になる。今後起きるかもしれない重大被害が、警察の動きの鈍さによる時、司教団はその責を引き受けるのだろうか。

その、2年足らず前に抗議した相手の国家公安委員会委員長(役職)から、“必要な情報はしっかり集め”ている、“見張って”いる、と公言されたのである。国会の場で、オウム真理教を例えに出され、反社会的活動とまで言われている。なぜ、黙っているのか。司教団としての信念を、なぜ堂々と述べないのか。「貝塚教会問題」に比肩できぬ、重大案件である。

司教団発言には次の原則があると思う。

①きちんと反論してくる可能性のある相手には、要求・抗議をしない。
②信徒の真面目な問いには、答えない(例は多すぎてそれだけで1章もしくは1冊になる)。
③ 24分類中の政治的主張を日本共産党のそれと照らし合わせるとほぼ同一である。2者間に相違点・矛盾点はない。これだけの整合性はほとんど異様と思える(WEB上で照合できる)。
④自分の非は絶対認めないが、他者のしたことは、「その人に代わって謝る」のは大好きである(百井友子氏の観察による)。

その意味で、中丸 啓議員(当時)などは最も危険な人物である。抗議すれば、喜んで応じてくる。日本の総理大臣・閣僚、まして他国元首は、何を言っても“相手をしてくる危険”のない、安全パイである。そのことを司教団は十分に心得ている。中丸 啓議員発言への知らんぷりが逆にそれを証明する。そのような種類の文書が「司教団公的発言」の過半数を占めているのである。そして「宣教」をうたうものは、四半世紀出ていない

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『マネジメントから見た司教団の誤り』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。