作業療法っていったい何だろう?

私は病院で患者さんや高齢の方々のために働いた後、大学の作業療法学科の教員になりました。病院やデイケアの作業療法士として、どうやったら目の前の患者さんが、身の周りのことや、したいこと、必要なことができるようになるのかをああでもないこうでもないと考え工夫するのは、大変だけど楽しい時間でした。人のために何かできることは喜びでした。

しかし、専門職として患者さんのために忙しく働いているときも、学生相手に講義をしているときも、やりがいは感じるのですが、私の中には「作業療法って何?」という、すっきりしない感じが立ち込めていました。きっと多くの作業療法士、学生さんがそうだと思います。

私はこの仕事をうまく説明できないために、長い間自分の仕事になんとなく自信が持てませんでした。作業療法って何? 兄弟のように扱われる理学療法との違いは何? 患者さんの役に立っているのだろうか? 社会の役に立っているの? などの疑問に悩んでいました。私のやっていることは自己満足だろうか? 私はどうやったら自分がついている作業療法士の仕事に自信を持てるのだろう、と考え込むことが増えていきました。

弟は引き続き入院していました。私が訪ねると、機能訓練がままならない弟は、病院の端にごろんとしている感じでした。やっと自宅生活が始まったとき、食事以外の日常生活のほぼ全般で介助を必要とする状態でした。私と家族は他の人たちと協力して弟の身の回りの世話をしながら、何とか彼が好きなことを一緒に楽しもうと努めました。限られた生活の中で弟が喜んでできることが大きな意味のある作業と感じるようになりました。

弟のお気に入りは、TVの「一休さん」を大音量で見ること。私たち家族とトランプでゲームをすること。他に、キーボードでビートルズを片手で弾くこと。家族が顔を合わせてご飯を食べることでした。家族で出前のうな重を食べ終わると、弟は残った家族全員分のタレの容器をバランスよく積み上げることに挑戦し、私がそのバランス作品を写真に撮ると、得意満面でご機嫌でした。近くの公園に車いすで散歩し、馴染みの老人たちと話したり、花見をするのもお気に入りでした。

弟が自宅に帰ってきたころに、私は大学に移り、学生に疾患別の作業療法の知識や技法を教え始めました。しかし、臨床で経験した作業療法の面白さやすばらしさを学生に伝えようといくら頑張ってもうまく言葉にできません。そのモヤモヤと何とかしたい焦りが私をイライラさせました。授業中に学生に対してこんな問いかけをしてクラスをシーンとさせては、空回りしていました。

「サザエさんのカツオ君が交通事故にあって、C6頚髄損傷をおったら、カツオ君の生活はどうなるでしょう?」と聞かれた学生から見ると、私は熱心だがなんだか変に難しいことを話す先生に映っていたと今では思います。そんな時に、弟は自宅生活が困難になり再び入院し、後日亡くなりました。葬式や片づけの後、私は空虚になり毎日寝てばかりいました。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『「作業的写真」プロジェクトとは 作業を基盤に、我々の健康と幸福を考える』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。