(しつけ)」ること

世間では、よく「躾」がなっていないとか、あの人は「躾」のよくできた人だとか言います。私は、昭和ひと桁生まれの、古い考えの父の元で育ったので、この「躾」というものを、厳しく受けた覚えがあります。それは、礼儀作法であったり、立ち居振る舞いであったりです。

日本の「道」へ進むと、自ずと、この「躾」が大変重要で必要なものになってきます。師への礼節であり、「道」においての規律であり、門下生同志の礼儀などです。私は、この「躾」について、なんと理にかなった良くできた漢字だなと思っていたのですが、調べてみると、これは、漢字ではなく、日本で作られた和製漢字、国字だったのです。

国字は、他にも、(とうげ)(さかき)(なぎ)(しずく)、などがありました。どれも本当に良く考えられ、作られている事に感心します。ここにも、日本らしい、創意工夫する知恵の深さが感じられます。

「躾」について、辞書で調べると、仕付け・躾とあり、

(1)(「躾」はからだを美しく飾る意の国字)子供などに礼儀作法を教えて身につけさせること。また、身についた礼儀作法。〈躾〉

(2)本縫いを正確に、きれいにするためにあらかじめざっと縫い合わせておくこと。また出来上がった衣服の形が崩れないように、折り目などを縫って押さえておくこと。

(3)作物を植え付けること。特に、田植え。〈仕付〉。

とありました。

「道」において、強く意識するようになった「躾」ですが、その顕著なものが、言葉遣いです。師へ対して、正しい尊敬語や謙譲語を使いこなす必要性を、つくづくと感じ、毎日が勉強です。

日本語は語彙が多く、時として間違った謙譲語を使ってしまう事があり、その失礼を申し訳なく思い、恥ずかしく思ったりします。「道」の道程で、この言葉の操り方を学ぶのも、大変貴重で有意義な事です。

昨今、口癖の法則とかが流行ったり、言霊のパワーを謳った本が出ていたりしますが、まさに言葉こそ、人生の運不運を決めると言っても過言ではありません。言葉の乱れは、心の乱れに直結しています。日々勉強して、正しく美しい日本語を使い、心を正しく保つよう、自分を「躾」たいと思っています。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『しあわせ白書』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。