象徴的な問題

「しかし、よくもここまで時代遅れな経営が続いてきたものだ……」

柏原は改めて資料に目を通しながら、ひとりつぶやく。自分はこれまで、ひとりの医療従事者として理想の医療を考えてきた。国立大学付属病院の病院長としての仕事については、我ながらよくやってきたはずだという自負もある。

そこで実感したのは、総合病院である以上、医療と経営とが分かちがたいという現実だった。

だからこそ、自分が身を置くことになった、この上山総合病院の経営を嘆いてしまうのだ。地域に根ざした外科医院からこれほどの規模まで成長し、なんと県下トップクラスの総合病院にまで拡大したのは目を見張るほどにすごいことだ。

しかし現状をみるに、この病院の経営方針はかなりピントがずれている。この国では、2000年代初頭に社会の仕組みが大きく変わった。

さまざまな業界で制度改革が行われ、競争原理を導入した新自由主義といわれる方針が志向された。病院経営についても同様で、優勝劣敗。国の医療政策的にみてすぐれた病院に手厚い反面、そうでなければ淘汰されていくような時代になったのだ。

事実、これまでの10年余りの間に、かつて全国で1万ほどもあった病院の数は約8000にまで減っている。

ではここでいう「すぐれた病院経営」とはどういうものか?

分かりやすいのが入院に対しての診療報酬だ。

かつて、病人・けが人の居場所を用意することが社会保障の基本だったころには、病院経営とは入院患者を確保することと同じ。

院内のベッドを満床とするために1人当たりの入院期間を長くすることが多くの病院で行われてきた。

しかし改革以降は違う。入院期間が長びけば、医療の質がそれほどでもないがために患者を治し切れない病院であると評価され、1日当たりで得られる診療報酬はどんどん減っていく。

つまり、多数の病床を抱えて患者を長期入院させておくことのメリットはほとんどなくなってしまった。しかし上山総合病院では国の医療改革があってからも病床数を増やし、これをとにかく満床にする方針をとってきた。

これでは経営が赤字になってしまうのは無理もない。

ここまで考えたところで、ドアをノックする音が聞こえた。

「ああ、いいよ」

入ってきたのはコーヒーカップを持った妻だった。

「まだ仕事があるの? ずいぶん遅いわ、お休みになったら?」

「少しみておきたいものがあってね、先に寝ていてくれ」

「分かりました……無理しすぎないようにね」

「そうする、心配いらないから」

柏原はそう答えると、受け取ったコーヒーを一口すすって、再び資料に向き合う。過去の基本方針は、資金を借り入れて病院を拡大していくことですべてがうまく回るはず、というものだった。

しかし、時代は変化する。それを誰もが見逃したというのだろうか。結果的には資産は増大したものの、圧迫された運転資金は慢性的に不足。毎年のように赤字決算を計上するなかいよいよ現金が不足して、病院を動かすこと自体にも支障が出てきていた。

いかんともしがたく、病院の土地建物をファンドに買い取ってもらい、一息ついて経営を立て直す。もちろん、資産圧縮という考え方自体は決して間違いではない。

「ただこれでは……」

柏原は眉間にしわを寄せた。ファンドから得た資金で借り入れの多くを整理し、当面の運営資金を確保したところまではいい。