そして、ヒラタ社長を少しおだてたら、ぺらぺらと話してくれた。2度にわたる入札で不落となり、結局、見積入札を3度も行った際にオカダ村長は条件をつけたそうだ。

「500万円増工事で出す」

工事は予定どおり始まったが、章設計には着工の話もなかった。

資料館建設予定地から銅鏡が出土

勝手に始められた整地工事でとんでもない物が見つかった。

三種の神器の一つ、銅鏡である。工事は当然中断され、高額な費用と時間をかけて調査が行われ、遺構が発掘された。それらは報告書にまとめられて、遺構は保存されることになった。

平成18年(2006)12月8日、ヤマガミムネオ参事から電話が入った。公衆便所の工事は中止するから設計料だけを支払うという。

それは大して驚きではなかったし、資料館より遺構が大切だった。

「園原資料館建設は中止です。ハネダイツキさんが、『遺構を残すと決めた。ここに建設することはない』と言っている」

ヤマガミムネオ参事は、多くの職員がいる庁舎内のど真ん中の机でそう発言した。

「それはとてもよいことです。公衆便所の設計料は要りません。それらの費用は遺構の保存のために使ってください。契約していますし設計も済んでいますから、いったん受け取って寄付してもよろしい」

それは本音であって、実際に嬉しかった。銅鏡が出たとなれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)や源義経の伝説がグッと近づく、興奮の方が強かった。文化財委員長の原孝雄は鏡のなんたるかは想像するが、園原から出土したことが理解できなかったようだ。

「発掘費用は地主熊谷秀二氏の負担」と追い込み、「鏡の所有権を放棄すれば、発掘費用400万円は全額村でみる」と、もちかけた。

「あの鏡を見たか! あんな貴重な物を放棄しちゃあ、ダメだ」

思わず熊谷秀二に駆け寄った。

「400万なんて出せない」

「資料館など、どうでもいい。年貢が9万円なら俺が10万円払って田んぼをつくる。だから鏡は放棄しちゃあダメだ」

だが、横を向かれた。