どうも想像がついていけず、駅の改札に向かう自分に切り替えてみる。雑踏のなかで人波に揉まれながらついていく自分。そこには一種の一体感がある。安心と言い換えることもできるかもしれない。

「そこで諌さんだけが、やはりこのまま行くのはどうかと考え、方向を変えたとしましょう。さっきまで従っていた流れに逆らうのは容易ではありません。肩はぶつかり冷たい視線にも晒される。変人という烙印を頂戴するかもしれません」

急に階段で立ち止まり、通勤・通学ラッシュのなかを逆行すれば、そういうふうなこともありえるだろう。

「そこで諌さんは周囲を見渡します。さっきまでの安心はどこへやら、今度は自分と他人との相違にしか眼を向けられなくなるわけです。そこではじめて、私は私だと確立するわけです。そうなって初めて、踏み出す一歩に意志が宿ります」

「ちょっと待て。ではまわりの人々が作り出す流れに歯向かうことで、人ははじめて意志を表明できるというのか」

「その通りです」

庄兵衛は今までで一番力強く答えた。俄かには受け入れがたい話だった。

「意志とはもっと崇高で、計り知れないものではないのか」

「意志が崇高か低俗かどうかは、次元の違う話です。人間の意志とは、ある意味で、安易な生存本能に抵抗しようとする斥力(せきりょく)ではないでしょうか」

「そうは言ってもだな」

どうも納得がいかず反駁(はんばく)しようとしたそのとき、うなじに鋭い視線を感じた。背筋が氷を当てられたが如(ごと)くうすら寒くなる。すぐさま振り返り、謎の視線の出所を探す。

けれども海上には靄(もや)がかかり、どこから向けられた視線か判別できない。そもそも視線だったかどうかの確証もない。

けれども研ぎすまされていく五感が、なにか異様な気配を感じとっている。

「なあ、庄兵衛。だれかの気配を感じないか」

「何者かが、こちらをうかがっていますね」

庄兵衛はさっきまでの和やかさとはうってかわり、殺伐とした雰囲気を纏(まと)い始めた。櫂を握る手には力が入り、木の繊維がめきめきと軋んでいる。

この急転直下(きゅうてんちょっか)の変わりよう、なにか不測の事態が起きている証拠だ。

不安がむくりと頭を擡(もた)げる。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。