夏休みの宿題

「心臓が動いているのに心臓を取り出したら死んじゃうじゃん」

「そこが難しいところで、"脳死"というのは、脳の大事なところを含めた脳全体が回復しない段階まで機能停止してしまうことを言って、そうなると生命維持機能もダメになるので、いずれ心臓も止まってしまうんだって。海外なんかじゃ、脳死を人の死と定義している国もあるんだよ。日本では、臓器提供する時に限って脳死を人の死と認めるように法律も変わってきたんだって」

「でも、心臓が動いているのに死んでいるなんて分かりにくいね」

「確かにその通りかもしれんな。だけど、みんなも、もしも身内に先生の妹みたいな移植しなければ助からないという家族がいたとする。どうしても助けたい。でも臓器がない。どうする? やっぱり、先生みたいに臓器がほしくなるじゃろ」

「……」

「でも、臓器をお金で買うことはできない。さらに、よく報道で耳にする渡航移植。これは外国に行って臓器移植を行うっていうやつだけど、これには多くのお金がかかる。最近では、国際的にも移植する臓器が不足してきていて、各国が自らの国民の移植を優先しようとするようになってきているので、日本人が海外で移植を受けにくくなっているのも事実なんだ」

「日本では移植はできないの?」

「先生みたいな生きている人から取り出せる臓器なら比較的可能になっているんじゃけど、亡くなった人、特に脳死になった人からの臓器の提供はまだまだ少ないみたいなんだ。ましてや、小さい子供の場合は、大人とサイズが違うので子供からの臓器提供が必要になることが多いんじゃけど、臓器を提供してくれる人はもっと少ないみたいだよ」

「……」

「これについては、法律も少しずつ変わってきていて、以前は臓器提供の意思表示を行っていた15歳以上からしか臓器提供ができなかったようじゃけど、最近では、本人の意思が分からなくても、家族の承諾があれば臓器を提供することが可能となったみたいだよ。これによって、法律的にも15歳未満からの臓器の提供が可能となって、全国的にも子供から臓器が提供された、という報道を時々聞くようになってきているね」

「でも、大人でも嫌なのに、子供から臓器を取り出すって、考えただけでも泣きそうになるよ」

「そうじゃね。先生も同じ気持ちじゃ。その家族の気持ちになって考えることすらできんよ。先生もいろいろ考えたんよ。もしも、自分の子供が臓器移植が必要になったら、やっぱり臓器がほしくなる。でもそれは、もしかしたら他人の死を望んでいることにならないか。自分の家族が死んだら、それは絶望的な悲しみになるに違いない。その悲しみは他人であっても同じように起きているはずだ。そう考えると、臓器移植は希望してはいけないんじゃあないか」

「……」

「でも、善意で臓器を提供したいと言っている人がいるのであれば、その善意を受け取りたいと願うのも移植医療なんじゃないかな。先生は、自分の中のエゴかもしれんけど、他の家族には臓器提供をしてほしくないけど、自分は臓器提供をしたいと考えたんだ。