「俺のせいなんだ」

「あ、でも」

庄兵衛はなにか思いついたように付け加えた。

「神様は、わざと知恵の実を食べさせるようにしむけたのかもしれませんね」

神はわざと人間に知恵の実を食べさせた。悪くない考察だ。わたしのなかで大人しくしていた、小学生の自分が嬉々として耳をそばだてる。

「なぜ、そう思うんだ」

「可愛い子に、旅をさせるためですよ」

陽気な声が水上を跳ねた。まるで近所の子離れできない親に言い放つような軽妙さだ。

「先立つものは知識ですからね」

「庄兵衛、ふざけているのか」

「ふざけていません。神様は案外、放任主義かもしれませんよ」

駄目だ、こいつ。わたしはその場で伸びをして関節の節々を鳴らした。体中に滞っていた血液がどくんどくんと流れていく。

「それではなぜ、人に食べさせたのは生命の実ではなく知恵の実だったんだ」

「子供を憂う親心でしょうか。それか、ただの偶然かも」

「しかし『神は賽(さい)を振らない』んだ。神に偶然はありえない」

庄兵衛は肩をすくめた。

「そう意地になられても困ります。降参です。ただこれだけは言わせてください。人の美徳は、あくまでも不確定であるからこそと思います」

聖書はこう語った。

『神は自分の形に模して人を作った』

アインシュタインはこう伝えた。

『神は絶対に賽を振らない』そして庄兵衛はこう主張する。

『人は神に似ておらず、不確定だからこそ美しい』

「神って人って。なんなんだ」

なんだかわたしもひどく混乱してきた。その究極の問いかけに、庄兵衛が後ろで微笑んでいるようだった。真実を知っているものの敢えて知らないふりを演じているようで、なんだか面白くなかった。

「悪かったな、むきになって」

わたしはふんとむかっ腹を立てながら口を噤んだ。すると優しい静寂が鼓膜を撫でた。この世界はどこまでも沈黙を貫き眠っている。生き物を歓迎しようとしない空間にとり残されるわたしと庄兵衛。舟は今や完全に静止していた。この場所に流れはまったくない。

「人生の思い通りにならない様を川に例えるが、ここに流れはないんだな」

「それがどうかしましたか」

「いやなに、なんだか不気味だなって。暗さといい雰囲気といい。肝(きも)試しにもってこいじゃないか」

庄兵衛が櫂を握るのが分かった。舟が目覚めたようにゆれる。

「肝試しとは、懐かしい響きです。諌さんの肝は、門に着くまで持ちこたえられそうですか」

「無理かもしれない。幽霊やホラーは苦手なんだ」

「諌さんは生前、お医者様だったのでしょう。聖職者が幽霊を恐れるのですか」

庄兵衛の声に嬉々としたものが滲んだ。人の生死に関わっておきながらと言いたげだ。

「ああ、恐ろしいね。死者たちに命を狙われるなんて、たまったもんじゃない」

幽霊相手には霊媒師が適任、医師は形無しだ。死者は透明で神出鬼没(しんしゅつきぼつ)、怪力と相場が決まっているから、そんな相手にびびらないほうが不思議だろう。

「幽霊の話をすると、彼等は寄ってくると言いますよ」