家は学校のすぐそばにあったが、よく遅刻をして先生に怒られていたが、怒られながらもおどけて皆を笑わせていた。ショーチャンと私は虫好きもあって仲が良かったから、一緒に虫取りに出かけたりしていた。

しかし、私の目当ては主に蝶で、ショーチャンはトンボだったから、好みの場所も微妙に違っていて、いつも一緒という訳ではなく、ショーチャンはよく近所の小さい池や神田川に行っていた。

二人連れだっては時々、神田川上流の大宮八幡宮の下の池にも出かけていた。今でいえば和田掘公園である。

行く時はいつも神田川沿いに歩いて行っており、早く行けば一時間はかからない距離だったが、寄り道したり遊んだりしながら行っていたから、そういう日はジャムコッペパンなどを持って行って、帰りは神田川にコウモリの飛び始める夕暮れ時になった。

その頃私達にとってギンヤンマは憧れだった。オニヤンマは大きさの違う種類もいて結構数もいたが、ギンヤンマは数が少なかったし、第一飛ぶ速さが断トツだった。だから捕まえるのは至難の技だった。

ショーチャンはそれに挑戦していた。しかしギンヤンマを網で採るのはよほど運良く手の届くところに止まっている時ぐらいで、それでさえ難事であった。

ショーチャンは竹竿の先にトリモチを塗ってそれで捕まえていた。多分トンボを捕らせたらショーチャンの右に出る者はいなかったはずだ。

それから二人連れ立って上野の科学博物館にも何度か出かけた。ここは二人にとって不思議の玉手箱であったから、時の経つのも忘れて遊び回った。

そのショーチャンは6年生の終わりに、お父さんの転勤で引っ越して行ってしまった。その後中学生になってから、何度か手紙のやり取りはしていたが、それも段々しなくなってしまった。

そして中学を卒業する頃だったと思うが、風の便りでショーチャンが亡くなったことを知った。

交通事故だとのことだった。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『追分ひとり遊び 遊び友達の草友帖』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。