「子ども」が描いているイメージの共有

教育者は日頃の教育のなかで「子ども」の持っているさまざまなイメージを絶えず想像する必要があると考えます。

そんなことは本人に直接聞けばいいではないかという人もいるかと思いますが、「子ども」を教育する際には、何でもかんでも「子ども」に聞けばいい、というものでもないのです。

本人が話をしてもいいと思っているときとそうでないとき、聞かれても素直に話ができるときとそうでないときというのがあり、「子ども」だからこそ、そのときどきの心境は大きく揺れ動いています。

そんな状態にあることが前提で、こちらの都合だけで「教育者が聞いているのだからきちんと答えて当たり前」というのはあまりにも強引です。

大切なことで確認しなければいけないことは、本人の様子を見ながら直接聞くこともありますが、大概は直接聞かずとも判断しなければならないことのほうが多いものです。

当然、これを見極められるほうが「子ども」との関係は断然良くなります。「子ども」からしてみれば、この教育者は「自分の本心を知ろうとしてくれている」と思うか「とりあえず聞いておこうとしている」と思うかでは大きな違いです。

しかも、その「子ども」の感じたことが今後の教育に大きく影響するとすれば、それは慎重に捉えるべき問題ではないでしょうか。

しかし、「子ども」のイメージを捉えるというのはそう簡単なことではありません。こう書いている私でも、その答えが正解か不正解か正しく判断できるのは現在もなお五分五分といったところです。

ただ、五分五分ですがそのイメージを想像することは十分に価値のあることで、それは前述したことも含めて、「子ども」との距離は教育する上では大変大切なものだと考えます。

一人一人との心地よい距離を保つには、「子ども」のイメージする世界の想像は必須条件かもしれません。ぜひ、子どもの想像、思い描く世界に思いをはせ、より良い教育者を目指してください。

「相手の立場に立って物事を考える」。教育者が日頃、子どもに向かって正すべきことです

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『「子ども」が「人」に育つには』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。